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そこで出会う言葉と、それをとらえる過去の自分への羨ましさ

過去の日記を振り返ると、病棟時代、普通には出会わない言葉にたくさん出会っている。

がん終末期で、だいぶ体力の落ちていた女性。胃の中は真っ黒。所々鮮血があり、即入院、絶飲食。四六時中点滴に、連日輸血。不穏を心配され抑制される。入院当初の彼女は家にいるねこちゃんをずっと心配していた。

「ねこちゃんがお腹を空かせているから、帰らなきゃいけない。」
「ねこちゃんがしんじゃう。」

看護師も医者も口を揃えて言う。
「ねこを助けている間にあなたがしんでしまう。」
「ねこどころではない。」

反抗するのも疲れた彼女は、徐々にこの現実を受け入れ始める。病気を理解し、受け入れることではない。もう家に帰ることはできないんだ、ということを。
一度、医者より抗がん剤を提案されたことがあった。よくわからず彼女はイエスと言う。私は彼女の病室に訪室した。

「みんなが騒ぐからいいいよって言った。本当はもうなにもしたくない。私は遠くに行きたい。私ね、知り合いがホスピスというのを教えてくれたことがあったの。ホスピスってどんなところ?教えてくれない?」

抗がん剤を拒否していることと、ホスピスの希望という情報をナースステーションに持ち帰り、ホスピスに話が進んだ。ただ、現実問題、叶わなかったのだけど。抗がん剤は行わず経過を見守る選択になった。


彼女の静かな時間を提供できるように部屋移動をした。景色の見える部屋に移動した。そしたらそれはそれで寂しいだなんていうお茶目な方だった。

人はすんなりしねない。動けなくなってから、長かった気がする。彼女は早くお迎がきてほしいと願っていた。なかなか来ないときに、彼女は20そこそこの私にこう言うのだ。

「私ね、あっちにも世界があると思うの。あなたもそう思わない?」

彼女はあっちの世界でねこちゃんに会えているだろうか。

死に際の言葉を聞けるのは、この職業だけで、そこの言葉を聞けるのは、そこにいる人だけなんだ。
私はそれに責任や誇りを感じていたけど、病棟をやめた今、もう真っ新そんな機会がなくなった。ああ、ないなあ、心が動く機会って、なくなったなあ…。悩んでいた過去の自分が少しだけ、羨ましくなった。

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