40過ぎのある現実#5

こんばんは、ジャッコです。

前回の続きです。2件目のスーパーを辞めて、次に働いたのは有名中華系チェーン店です。

この頃から例の感染症が全国に広まり、大変な時期になっていきました。

スーパーを辞めてすぐに面接に行って、即日合格の後

単価が非常に安いお店なんですが、時給はなぜかめちゃくちゃ高いです。まぁ…そりゃそうなるわなって話で…これは後ほど記載します。

採用を貰ったら最初にやるのが本部に行って研修です。

会社の成り立ち、経営理念、オーダーの取り方、レジの打ち方、簡単な接客対応、商品の提供の仕方です。

この研修で印象に残っている言葉なのですが「お客様は神様ではなく、神様が選んで来てくださる者(「物」ではない気はする)です。決して神様扱いはせずに、【大切な人】として、親切で丁寧な接客をしてください。」と仰っていました。

ごもっともな話で、某有名演歌歌手がライブ前に気合を入れる言葉が世の中に広く出回り、「自分は客だ!神様だ!だから丁重に扱え店員ども!」みたいな態度な人、接客業をされていると1人は必ず出会って、「早く出ていけ!この野郎!」みたいに思って対応された経験はあるかと思います…

その言葉は今でも自分の心に突き刺さったままで、現在の飲食業でのアルバイトでも実践してますし、そして、これからの人生でも大切にしていきたい言葉となっています。

また、この言葉で自分はどこかのお店に行ったら店員さんに頭が上がらなくなってしまいました。普通に物を買って、普通に支払って、「ありがとうございました!」と言われると「こちらこそ良い買い物が出来ました。ありがとうございます。」と言いたくなってしまう事も…極端過ぎますが、そんな心になりました。

とりあえず、そんな研修を終えて、実際に店舗で働く事になります。

店舗での働き方

ここでアルバイトをしていた時はユニフォームに着替えるのですが、この「ユニフォームに着替える」と言うのも仕事の1つとして考えられています。仕事の為に着替えるのですから当然です。

ですので、この着替えも時給に入り、着替え前に出勤ボタンを押します。

・・・

これ書くと分かる人には分かる飲食店で働いてたのがバレる…まぁいいや!

だからと言って例えば勤務1時間前に行って、出勤を押して、着替えて待機とかは、もちろんやってはいけません!大体早くても15~20分前くらいにお店に行きます。そして、着替えて、昨日の売り上げを確認したり、例の感染症の為に体調が良好か不良かのチェック表を記載したりします。

どこかの飲食チェーン店のお偉いさん、もし、こんな底辺noteの記事を見ていらしたら、着替えも作業の1つとして時給を付けるご検討をしてください…決まった身だしなみがあるのですから、それも仕事の1つです。

さて、仕事内容は自分の場合はホールと洗い場が主でした。調理もたまにやっていました。餃子を焼くのはかなりやってましたが、他のラーメンを茹でる、炒め物を作るなどもごく稀に実施してました。

過去に中華鍋を振っていたので、店長が試しにと言う事で中華鍋に大量の塩を入れ、それを火にかけ実際に炒め、自分は使えるのを現場で本当に証明しました(面接でもこの件は伝えました)。過去にチャーハンを大量に作ってた分、伊達じゃないぜ!体は覚えてる物ですね…数年乗ってなくても、自転車や自動車を運転出来るのと似た感覚です。

ここで、冒頭に後から記載しますと宣言した内容をつづります。

単価が安く、お店には引っ切り無しにお客様がやってくるので、本当に大変です。約30席の客席を3人で回すという地獄です…

1人は厨房でひたすら調理、2人はホール兼洗い場!

ホールの人はたまに餃子を焼いたりします。厨房も手伝える内容があったら、たまにサポートに入って手伝ったり、洗い物が溜まり過ぎて、食器が無いなどなど…

お昼や夕方のピーク時は5~6人くらいでお店を回すのですが、それでも全てがすっちゃかめっちゃかです…

本当にお店を回すのが恐ろしい程の回転率…

うん、商品単価安いけど人件費高い理由が良くわかった…

実家の都合や自分のうつ病で結局、辞める事に…

うつ病は相変わらずのままです。それでも、1度風邪を引いて(感染症は陰性でした)休んだ事があります。後は、ぎっくり腰でも1度休みました…

めちゃくちゃ忙しい飲食店でしたが、時給も高いし、そこそこ楽しく仕事も出来ていましたが…とどめが刺されます。

実家の母が倒れて緊急入院しました。前に働いていたスーパーでもこれで何度かこれで突然の帰郷をして、シフトの穴を空けました。今回は流石に生死の境目にありまして、店長に諸事情を話、しばらく実家で過ごしていました。

結果、母は何とか無事でしたが…これから実家に住んでる両親がどうなるか分からないので、辞めました。約3か月だけのアルバイトでした…

その後、しばらく働かず、自分の貯蓄で2か月ほど生活をしておりました。感染症でアルバイトが無く、うつ病もあり、母の件も落ち着き、少しの間だけ実家から現在住んでるところに戻り、しばし休暇みたいな過ごし方でした。

最初は実家に戻って、両親の面倒をみようと考えたのですが、感染症でも都内の方がインターネットなどを利用してですが、求人数が多い事を両親に教え、都内で再び探してみては?と言われて、戻る事にしました。

勉強をしようかと思ったのですが、自分の趣味を楽しんでいました。以前も記載しましたが、勉強しても頭に入ってこないし、問題を解いてもクイズ感覚が未だに残ってたので、うつ病が良くなったらしっかりやろう!と、決意しました。

そして、しばらく休暇を取った後、現在の飲食業を掛け持ちしてアルバイトに至ります。

この話はまた今度。

読んでくださりありがとうございます。

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