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コスパと自分の楽さばかり求める人々

先に触れておくが、根拠が薄い個人の感覚的な話である。また、センシティブな話題でもあると思う。それを承知の上で読んでいただけるとありがたい。

少子化の原因として、若者の結婚意欲の低下、婚姻数の現象が挙げられている。それはもっともで、経済的な理由などで、結婚が遠のいていたり、子育てが遠のいているのは間違いないと思うが、それより根本的な意識の問題もあるんじゃないかと感じる。

科学技術が発達し、特にスマホの普及から、急速に若者の文化や生活は大きく変化したんじゃないかと思う。物質的に豊かになり、さらに、コンテンツのアクセス難易度が下がり、人生を楽しむ方法が増えた。また、大量の情報にアクセスしやすくなったことも相まって、コスパの良い人生、楽な選択が何かを選びやすくなっている。
豊かになる前の若者たちは、もっと豊かさを求めようとハングリー精神でやる気に満ち溢れていたんじゃないかと思う。ただ、近年の若者は、相当な深刻な状況になければ、ほとんどの人が豊かに生活しすぎているのではないだろうか。現状維持さえできれば問題なく、もちろん新しい技術が出たらそれ受動的に取り入れるが、自分から開拓しに行こうとは思わないのではないだろうか。(若者が言うのも何だが)
こうした文明の発達は、もう一つ効率や楽さから離れた場所にある、重要な価値観が薄れているのではないか。愛情である。実際に、私自身最近まで忘れてしまっていたように感じる。実感ができなかった。社会や風潮が、コスパ、楽さにかたむいてしまっているため、忘れてしまっていたように思う。あるいは、近年に始まったことではなく、文明の発達とともにもっと上の世代から進んでいたのかも知れない。

きっかけは私が、結婚の可能性があがっていることに大いにあると思う。子育てをしたいか、できるか、理想の家族像はなにか、じっくりと考えなければいけなくなってきている。これまでみたいに自分の人生を投げやりに考えられなくなってきているのである。

正直いえば、結婚も子育ても、家族づきあいも、最高にコスパが悪く、ましてやHSPであることも相まってか、昔から一定の煩わしさを感じていたのである。パートナーも同様のことを言っていた。ただ、近年は、夫婦でお互いにプライベートは邪魔しなかったり、相互にとって有益な関係があるから、という理由で結婚するカップルもいるようである。本当に家族というより、契約に近い気がする。
こうしたコスパの悪い結婚や子育てを選ぶのは、非常に勇気がいる。あるいは、今結婚している人たちの中にも、「こんなはずじゃなかった」という人々はたくさんいるだろう。普通に考えてはいけないのだが、普通に考えて、他人の睡眠を邪魔したり、家を散らかしまくったり、排泄物を撒き散らすなど、人として言語道断である。これは子育てもそうだし、介護にも似たようなことが言える。
最近は「生きづらさ」に加えて、「毒親」という言葉もよく出ている。確かに、心理学的に両親、とりわけ母親の子供に対しての態度などが、子供の心理的、精神的な生育や健全性に影響が出ていることは最近特に注目されている。私の親も正直、生きづらい私への配慮は足りなかったと思うし、よく内面も合ったと思う。かなり軽めに「毒親」といえるかもしれない。しかし、とんでもない子育てに付き合ってくれたんだ、ということを最近思い返し、まず頭が上がらない思いである。というより、全ての子育てに頑張って関わっている人たちにまず感謝と尊敬の念を抱いている。
本当に深刻な「毒親」の元で育った方も多いだろうから、無理には言えないが、両親への感謝、家族への愛情は大事にしなければいけない。昔は家族が一番の頼みの綱であるのが普通だったが、ネットの情報や他人の方が有益な情報をもち、その情報にアクセスしやすくなってしまったことも関係しているかも知れないが、自分自身が生まれたばかりの頃に、とんでもない迷惑をかけていたことを思い返せば、その「愛情の価値」というものは、今でも変わらないものではないかと思う。そこに気づく人が増えていかなければ、本当の少子高齢化は止められないのではないだろうか。

コスパを求めている人たちも、偉そうにふんぞり返っている社会の偉い人たちも、みんな自分がなんにもできない赤ちゃんであったことを忘れてはいけない。赤ちゃんは育てて当たり前、なワケがないのである。
もちろん、子育て放棄や、子供を道具として扱ったり、虐待をしている人たち、ヒステリックに恐怖を与えすぎて子どもの精神に悪影響を与えている人たちを完全に見逃したいわけではない。赤ちゃんという尊い存在自身が持つ、周囲の人達を癒やしたり和ませたりする力があり、家にかわいい赤ちゃんがいる全国パパ・ママたちが羨ましいことも見逃してはいけない。
それでも、子育ては大変だからこそ、人の一生に大事な、他人のために頑張る、頑張れる姿勢というものが生まれ、物質的ではない本当の人の和の豊かさというものを実感できるのである。

若者らしからぬ言論が続いているように感じるが、現実的に、私達の世代が老人になった時代には、コスパ重視により独身を貫いたたくさんの老人たちが、老害と言われながら100歳を超えてのうのうと生きている社会になってしまうのではないだろうか。今コスパを求める若者たちは、そういう老害の立場に立つ老後を果たして望んでいるんだろうか。

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