めっちゃ若々しいお年寄りになってやるというちっちゃな願望

この考えが、いいものか悪いものかはわからないし、今を生きる人生の大先輩の皆様には、大変失礼になるかもしれないが、若僧の小事なのでご容赦願いたい。

この背景にあるのは、言わずもがな超高齢化社会にまっしぐらな日本や各先進国の未来を想像してのことだ。今は高齢者や、若い層のためにならない政治にブーブー言える立場だが、突然の死でも訪れない限りは、自分も高齢者と呼ばれるまで生きる確率のほうが高い。なんなら、まだまだ30代くらいなのに、今の学生や生まれたばかりの子どもたちから、老害扱いされて、社会のゴミみたいな目で見られる可能性も心している(悲観主義すぎるかな)。そんな未来の自分に思いを馳せ、ちっちゃな野望をギャーギャーほざいてみたい。時間が経てば考えは変わってくるかもしれない。

他にも同じ考えの人がいるかもしれないが、まず介護される立場に有りたくない。どうしても重病にかかったり、そういった状況に置かれない限りは、介護など必要なく、自立した生活を続けたい。
山の中でひっそりと暮らしていたい。そのためには、体力の向上が必須だろうか。(本気でやるとは言ってない)

それに加え、若者たちに負けないくらい若々しい気持ちで、未来のためにできることを精一杯やっていたいと思ってる(休職中とは思えない発言には目を瞑っていてください)
趣味を持ち、いろんな活動に取り組んでたいし、なんなら働きたい。(休職中とはo以下略)
体力が限界だ、みたいになってても、無理してでも元気に働き続けたい。
体に鞭打ち続けて、酷使しているのに、体は動けなくなってしまったのに、何故か100歳くらいまで生きてしまうような時代がよく言われている人生100年時代ではないかと思う。そういうときは、すごい苦しんている若者のために、心に寄り添うような活動をしていたい。老害と言われてしまうかもしれないけど、それでも世の中の状況をよく観察して、その上で、ベストを尽くしたい。

正直なところ、元気なまま早死できたらそれはそれで結構で、なんなら理想だが、老人になり、自分はもう生先短いんだとかなんとか言いながら、自分が思っているより20年30年も長く生きてしまうのが人生100年時代だろう。後先短いのだから好き勝手やってやる、なんてことは絶対に思わず、生まれ変わってからもいい人生が送れるように、人生の修行を積んで、今ある人々のために何ができるかを考え、自分の実力を信じて生きていたいと思う。

お金も、今の状況から鑑みるに、お金持ちにはなれないだろうという気がするし、今払ってる年金がちゃんと返ってくるかどうかわからないけど、全然期待してない。急に天からお金が降ってきて、有り余ってしまったとしたら、自分のためではなく、他人のためにとう使えるかを考えて投資したいと思う。

ここまで言って、全然この通りにできない気もしてきたが、いろんな災厄が降ってきて、自分の力がいくら削がれようとも、手足がもげようとも、今できるベストを尽くしたい、ただこのスタンスを守りたいというちっちゃな我儘である。

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