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Base Ball Bear『C3』

1/22にBase Ball Bearの8枚目のフルアルバム『C3』がリリースされた。『光源』以降にリリースされた『ポラリス』、『Grape』2枚のEPに収録された8曲に、新曲4曲の加えられた全12曲が収録されている。
こういった収録曲になったのは、音楽が聴かれる環境を踏まえたある種の実験であることが各インタビューで語られている。

小出:フル・アルバムってなったときに、やっぱり最初は"EPからリードを入れて新曲8曲くらい入れる?"とか思ってたけど、そうなるとEPを2枚出した意義が薄らいじゃうと思ったんですよね。僕はEPのあの束感がすごく好きだったから、アルバムってものを編成するにあたっても、EPの曲を全部入れて、4曲、4曲、4曲の束でアルバムにしようと。あと、これは僕の感覚かもしれないけど、"リード曲3:アルバム曲7"みたいなバランス感だと7の比重が軽くなっちゃう気がして。もっと曲を大事にしたいと思ったんですよね。今の人って、7のほうをバーッと聴いて、その中からお気に入りの1、2曲を見つけるんだと思うんです。アルバム全部をしっかり聴く集中力をどれだけの人が持ってるのかなって。だったら、むしろ知ってる曲が入ってるほうが集中して聴けるんじゃないかと思ったんですよね。なので、これまでの曲もしっかりアップデートして、アルバムでのサウンドの見直しもしっかりやりながら、集中して聴ける新曲4曲っていうまとめ方。これが今一番ベターなやり方なんじゃないかなって。

これまでも『C2』期のシングル3枚が「エクストリームシングル」と称して、リリースされたり、『Grape』EPがライブ会場限定発売であったり(これからは通販も行うよう)した。
試聴環境が変化し「アルバム」という存在に対する価値観や意識の変容の見られる現代において、収録曲における既存曲の割合と聞き手の実感などを考慮し、どのような形でリスナーに届けることがベストかを彼らはとことん追求してくれているし、常に実験を繰り返している。
ここでは、新たな「束」である新曲4曲それぞれについて述べた後、4曲を「束」で述べながらアルバム全体について述べる。そして最後に『C3』の示すものを勝手ながらまとめたい。それが『C3』という作品全体をどのようなものか語ることとつながると考える。

これまでに、『ポラリス』収録曲についてはここで、

『Grape』収録曲についてはここで述べてきた。

L.I.L

「ダッダッダッダダ!!」というインパクトのある幕開けから、ギターのフレーズになだれこみ、サビもギターサウンド厚めで迫力を生んでいるギターの存在感の強い楽曲。
しかしながら、特に一番のAメロではギターの音は絞られてリズム隊の音で構成されており、「ポラリス」以降の楽曲であるという印象を強く受ける。

歌詞については二点触れたい。一点目は「歌詞」について書いているという点。まず冒頭に「ルーズリーフに書きなぐってた 作文みたいな詩(ポエム) あの続きをまだ詠んでる 夜から夜を越え」とある。これは、『(WHAT IS THE)LOVE & POP?』の歌詞カードの「ホワイトワイライト」のページから連想される通りハイティーン時の作詞風景を描きながら、その思いを絶やすことなく「あの続きを詠んでる」今の自分というものを描写している。だから、現在でも「君」の存在がもたらす「ときめき」「きらめき」を詞に曲にするし、「書きなぐってた」当時の歌詞の曲も歌い続けられるのだなと思う。
そして、「深い朝の街角で 僕は僕と会っては かなしみも 苦しみも 音にかえる」とあるが、これはその感情を音に落とし込むということを歌っているのは勿論のこと、作詞のことも意味しているのだと感じた。まさに『新呼吸』収録曲「深朝」的なフレーズを踏まえ「僕は僕と会っては」とあるが、作詞という営みはどのようなスタイルであれ自己を見つめ言葉を探す行為に他ならないだろう。また、特にこの『新呼吸』付近は語り手の現在におけるかなしみ、苦しみを吐露するものがあることが思い出される(「kodoku~」「光蘚」etc.)。

二点目は、「ライブ」について書いているという点。これは言わずもがなだろう。全編のサビの歌詞もそうであるし、リスナーからの言及が多い「19時の約束で君の事待ってるんだ」というフレーズはまさに、なフレーズである(俺は17時台開演のに参加することが多い気が)。その後に続く「ときめきや かなしみや 思い出も 予感も 連れて行くよ」というフレーズは、これまで自身が綴った歌詞に込めた思いや、オーディエンスが曲に重ねてきた思い出や、これからワクワクすることが起こると言う予感を連れていくという宣言であり、非常に頼もしさを感じるものとなっている。だから、「L.I.L」=「LIVE IN LIVE」であるとばかり思っていたが、本人のツイートを見ると、それだけではないようだ。

では、他に何が…。個人的には「君もまた 君だけで一人 なのさ」というフレーズに注目した。どれだけ人が集まっても自分という個人は一人としてそこにいるんだ、という自覚を持ち、「一対多」ではなく「たくさんの一対一」であろうということを述べているのだと感じた。よって、だいぶ苦しい語呂合わせだが「L.I.L」=「Lonely In a Lot」(たくさんのひとりぼっち(Google翻訳))と見ても…どうだろう?苦笑


EIGHT BEAT詩

真夜中のニャーゴのあの回やらまで思い返せるほどに、ベボベのヒストリーを一曲にまとめた歌詞に驚かされた。そして、そのバンド史を総括した歌詞を、最新形(ラップ/ギターレス/チャップマンスティック/ほぼドラムのみ)で鳴らしているカッコ良さよ!!これを所謂「ベボベの青春な疾走感のあるロックチューン」でまとめないところに大きな意味があると感じている。音源で聴いたのは初めてだが、チャップマンスティックの空間を浸すような音像はライブで聴くのが楽しみだし、スネアのタイトさ、たまらねえ。

また、インタビューで述べている点でもあるが、内省的な歌詞が似合いがちなギターロックというジャンルの中で、セルフボーストを行っているのも確信的かつ革新的だ。

長い青春 終わりのチャイム ……いや、これは逆転のための合図
だったら試す どれっくらいイビツになろうが自力の三点倒立
ギター・ドラム・ベース 輝くフレーズ 駆けてゆく 豊穣の季節
失くしたもの数える作業より想定外の自分を愛しなよ
生まれ変わってきた現実 まさに実践編のchanges示してく

特にこの辺りはその意識が最も顕著に読み取れる部分であると思うが、「失くしたもの数える作業より想定外の自分を愛しなよ」という部分は、メンバーの失踪という自らのヒストリーについて書いているようで、広く一般に向けたメッセージとしても機能し得るパンチラインとなっている。個人(ここではバンドだが)を見つめた矢印をマスまで届ける、と言うこれまでのトライが実った点とも言えよう。
セルフボーストもそうだが、「スーパーカー」「EMI」など固有名詞を並べていくことで具体性を強めているのも、小出のこれまでの日本語ポップスにおける問題点を意識した点だと考えられる。

また、上記以外の点では「どこからきて どこへ行くのか」というフレーズが一回目と二回目では意味が異なっている点にも唸らされた(一回目:「きて/行く」主体がバンド、二回目「きて/行く」主体が表現)。


Cross Words

メインのギターリフ、派手ではないけれど楽曲のトーンを決定づけるものとしてスバラシイな…小指攣りそうな感じがあるけれども…。
DVDのインタビューでも答えていたが、ベースは淡々と刻み続け、ドラムもシンプルで、歌を引き立たせることに注力した演奏となっている。やはり、ベボベの根幹はメインコンポーザーである小出が生み出すメロディだ。円熟味もありつつ、まだまだ新たな引き出しの存在を感じさせる、切なくも引きつける歌メロとなっているように思う。

またその中で歌われているテーマはコミュニケーションである。これは、「いまは僕の目を見て」でも取り上げている、小出が’19年での考察の対象としてきた問題となっている。
この曲では、特に「言わないというコミュニケーション」に関して、歌詞に表すトライをしたことをDVDのインタビューで述べている。
サビに入る直前の「聞きたい言葉がひとつあるよ」という所は、「僕」が言葉を求めているフレーズになるが、そこで求める言葉は「僕の名前」だという。例えば「愛している」とかいった気持ちを表す言葉ではなく、「名前」を聴きたいと言っている点が重要なのである。
「いまは僕の目を見て」でも歌われたことであるが、言葉と言う入れ物では発言者の伝えたいことは100%全ては伝えることができない。「伝えたい想いが こぼれ落ちても」と歌われているが、どうしてもこぼれていってしまうものだ。それは抽象的な想いなどであればなおさらだ。
だからここにいる確かな存在である「僕の名前」を、確かな存在である「君」に呼んでほしいと思うのだろう。

「「どうして」「どうりで」くりかえす日々の中で」という点も言語を介したコミュニケーションを示すキラーフレーズだと思った。
「どうして」と言う必要があるのは、言葉によるコミュニケーションが必要となる状況を、「どうりで」というのは言葉による説明の必要がなくその物事を察知した状況を示しているのではないか。
そういった、時には言語が必要だったり、不必要だったりする日々の中で、最低限あればいいのは、確かにここにいる自分たちの存在を確かめる「名前」を呼び合うコミュニケーションだし、それが何よりも大事だということだろう。それでも、何かが足りなければ、そりゃ同じに見えて違う僕らなのだから、少しずつすり合わせてこうよ、ってことなのではないか。


風来

ギタージャカジャカ―!ドライブ感のあるリズム隊ー!旅の移動で感じる風を楽曲に落とし込んだような、爽やかでサッパリとした楽曲となっている。この曲がアルバムの最後の曲となっている意義は非常に大きいと感じる。
「次の旅 思うよ」と言うのは、バンドのツアーのことを歌っていると捉えることができるし、より大きな視点で見るとバンドの旅、つまりバンドの歴史はこれからも続いていくものだ、と歌っていると捉えることもできる。
この『C3』というアルバムは、あくまで三人になったベボベというものの土台となるアルバムであり、完成形ではないこれからを楽しむためのものだということだ。
「血のめぐりを固めないためには『同じ姿勢でいないこと』」とあるが、まさにこれはアルバムごとに楽曲的にも歌詞においてもメタモルフォーゼを繰り返してきたベボベを表した名フレーズだと言わざるを得ない。


新曲四曲を「束」で捉えて…(アルバムの総評も込み)

インタビューでも小出が述べているが「バンドそのもの」を歌詞のテーマに当てているのが大きいと感じた。それは、「L.I.L」「EIGHT BEAT詩」「風来」で顕著であるが、「Cross Words」におけるコミュニケーションというのもそれに該当すると思っている。
ツアーで津々浦々回っていることもそうだし、自身の楽曲をどのようにリスナーに届けるか伝えるか、という点へのトライの姿勢というのは、まさにベボベとリスナーのコミュニケーションに関わることに他ならないだろう。

また楽曲面では、チャップマンスティックを使ったりと、これまでのEPでやってないことや、そこでのアップデートを行っていると感じた。
アルバムのディスコ・ファンクネタは今回は意図的に抑えており、それが裏テーマだと言うが、裏を返せば今作で意図したのはバンドによるロックンロールを全面に押し出すことではないだろうか(これもDVDのインタビューでも語られてることではあるが)。
関根もバンドの在り方を問われて「ロックバンドのかっこ良さは死ぬことがない」と、ツアーなどで鍛え上げたバンドアンサンブルへの実感を踏まえ、「ロックバンド」というものの強さ、その魅力を感じている発言をしている。
全体の楽曲の傾向としても、ファンキーなものでも「真っ黒」にしようとしていると見受けられるものはないのではないか。それよりも「ロック」であること、「でかいギター ひくいベース はやいドラム」によってこちらを圧倒させるものが印象として強いように感じた。


『C3』は何を示している?

○「Chapter 3」
ベボベのバンド活動の第三章に当ると言えるのではないか。三人になって、三人のみの音で構築する楽曲をつくるタームへと、章を進めてきたということを表すタイトルとなっていると言えるのではないか。

○「Character 3」
「Character」という単語には「個性」という意味がある。「3」はメンバー三人のことを指す。三人の音がそれぞれクリアに生々しく録られ鳴らされていることで、これまで以上に各個人の個性、というものが浮き彫りになった作品であると言える。

○「Composer 3」
本作がこれまでのアルバムと決定的に違うのは、作曲者のクレジットに小出祐介以外の他のメンバーの名前が付されている点だ。もちろん歌メロであるとか、コードワークについては小出が担っている部分が大きいに違いないが、様々なアプローチで曲を作るようになった変化は、見逃せないものだと言えよう。

なんてのが聴いてて浮かんだ。
ここまでのドキュメンタリーとしても感涙ものだし、それを吹き飛ばすロックバンドの勢いと技術と迫力に満ちてるし、傑作の名を付すに相応しいアルバムに仕上がってると感じた。これから三人が三人の音でどんな楽曲を作っていくのかがますます楽しみで仕方ない。

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