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『足が速くてモテるのは、小学生まで!』では無いことを実証した。

転職してから、3ヶ月が経った。以前の職種とさほど変わりがないので、すんなり仕事にも慣れて、ホッとしているのだが、一点だけ前会社と大きく違う点がある。

従業員が皆若い。社長が37歳で私よりも若い。そして従業員たちはほとんど20代ばかり。40歳に秒読みの人間は社内では私だけかもしれない。。

そんな、若々しい会社でおじさんは、若いパワーを日々もらいながら頑張っているのだが、ひとつだけ難点がある。

「飲み会のテンションが高い。。」呑んで食って騒いで。。もう阿鼻叫喚である。

飲み会

そんな飲み会の席である若者に質問をされた。

「高松さん、飲んでもずっとテンション低いですね。テンション上がる時あるんですか?」と。

そういえば、長年テンションというものが上がった記憶がない。

恥ずかしげもなく、我を忘れてはしゃいだのはいつの頃だろうか。

30代は、確実にない。20代も。。ない。。

大学生。。高校生。。中学生。。小学生。。

昔の記念写真を頼りに記憶を遡ってみることにした。

本当に恥ずかしげもなく、無邪気に笑って写っているのは小学校の頃の修学旅行。みんなで大浴場に入ってる時の写真だった。。。

つまりは、28年間。気分が高揚しないまま生きている。ラグビー日本代表の笑わない男で有名になった「稲垣さん」よりも確実に長いと思う。

笑わない

まあ、しかし。よくよく、記憶を辿ってみると一瞬だけだが興奮した記憶がある。。興奮というとどうしても性的興奮のように聞こえるが、そうではなくて、単純に「無邪気に心が踊った」瞬間である。

それは、高校3年生の夏が始まる前。高校の体育祭の時だった。

私は陸上部短距離に所属していた。中学生から始めた陸上競技。高校に入ってからも何となく陸上部に入部するものの、高校1年生の冬に「ドラムとバンド」に出会ってしまってからは、陸上競技への情熱がスッカリ冷めきってしまった。

それからは「サラリーマンがアフター5にエクササイズをするくらいの気分」で陸上競技に取り組んでいた。本気で部活動をやっている仲間たちには非常に失礼な話なのだが、高校生にして「健康の為」程度に部活動をしていた。

当然、エクササイズ感覚でやってる私の記録は平凡なもので、たいした成績も残さずに、高校総体最期の試合も「無難に」終えた。

私の通う高校の陸上部はそこそこレベルが高くて、県大会で上位に入った数人は引退が先延ばしになり、近畿大会、全国大会へと駒を進めていく。

その年も、400m x 4のリレー。通称マイルリレー(1マイル約1600mの為そう呼ばれる)で、県総体上位入賞し、近畿大会に行くことになった。

マイルリレー

そんなハイレベルな争いとは無縁の私は、県総体が終わると、そそくさと引退をした。悲しみもなく、惜別の思いもなく、達成感ももちろんなく。「あー、いい汗かいた」くらいの気分で引退した。

話は、体育祭に戻るが、我が母校の体育祭は、県の総体が終わった数週間後に開催されるのが慣例であり、その年も梅雨に入る前の6月ごろ(だったと思う)に開催された。

体育祭は、縦割りで「団」が構成される。つまり赤青黄緑etcなどの「団」を1年生から3年生が混合で作り、その「団」対抗形式で争うというものである。

体育祭

この地域ではそこそこ有名な「お祭り」で、保護者の方はもちろんのこと、近所の住民や、他校の生徒さんも見に来るほどの賑わいぶりを見せていた。

中でも団対抗のダンスと、リレーが一番盛り上がる。ダンスは各団で振り付けを自分たちで考えて、数ヶ月かけて完成させる。素人が付け焼き刃で踊るダンスなのでクオリティは、言うに及ばずだが、その素人臭さが、保護者やご近所さんの胸を打つようだ。

リレーは各学年から足の速そうな猛者達が代表で出て、順位を争う。

私は「陸上競技エクササイズ部員」であったが、一応は、陸上部短距離に属していたという名目だけで、「栄誉あるリレーメンバー」に選出された。

当たり前だが、他の陸上部員たちも、各団のリレーメンバーに選ばれている。

つまり、県内でも有数の韋駄天マイラーが母校に数人おり、そいつ達と私は、体育祭という晴れの舞台かつ公の場で「負けの確定した争い」をするという、辱めを受けなければいけない。。

この時ばかりは

「もう少し真面目に練習しとけばよかった。。」

とは思ったが、時はすでに遅し。

奇跡でも起きない限り、本気で3年間苦しい練習に耐えてきた「ガチ部員」に「エクササイズ部員」が勝てるはずもない。

「負け戦とわかっていながら戦に駆り出される足軽兵のような気分。。しかしこれも運命」

そう思って諦めていた矢先。奇跡の朗報が入った。何と陸上競技近畿大会の日程と体育祭の日程が被っているというではないか。

なぜもっと早くに発覚しなかったのかは、今となっては謎なのだが、とにかくそうらしい。

ということは、韋駄天達は皆、体育祭に出ないという事になる。補欠も含めて、陸上部の主力たちは近畿大会に行く事になった。

一応補足すると、私は補欠にも選ばれなかった。喜んでいい事なのかどうか複雑な思いだったが、下世話な私は心の中で「しめしめ」と思っていた。これは私の独り舞台になる予感。。しかしない。

「エクササイズ部員」とはいうものの、それなりに真剣にエクササイズをしてきた私は、陸上部員以外には負ける気は一ミリたりともなかった。

よく、プロ野球選手や、サッカー選手で足の速い人のプロフィールに「50m 5秒台」とか書いているが、陸上短距離界で、50m5秒台など、特筆するような速さでもない。そんな陸上部員など、吐いて捨てるほどたくさんいる。

むしろ、陸上部員の高校生で5秒台でない人間の方が稀なくらいで、私も現役時代ピーク時には、100mを11秒前半で走っていたので、2で割ると一応5秒台である。

サッカー部や野球部など、他の運動部にも足の速い輩はいるが、敵ではない。

陸上部とは、そういうものなのだ。ただひたすら走ることだけに特化して、来る日も来る日も練習しているのだから。

他の運動部の足の速さとは、桁違いに勝手になってしまう。

野球部がバッティング練習をしている時も。サッカー部がボレーキックの練習をしている時も。陸上部員は、ただただ速く走るためだけの訓練をしているのだから。

という事で、体育祭の当日。予定通り近畿大会に行った「ガチ部員」。そして残された私。

大方の予想を裏切らず圧勝をした。大人気もなく本気で走った。

バトンをもらった段階で3位か4位。先頭を走る生徒と30mほどの差はあったが、400mを走る間に簡単に抜き去りそのままゴールイン。

あっけなく、一位でゴールテープを切った。

その時が最期のテンションが上がった瞬間。。と言いたいところなのだが、それでもテンションは上がらなかった。クライマックスは思わぬところからやってきた。

リレーが終わり、汗を流そうと水道場で一人顔を洗っていると、後ろから誰かに肩をポンポンと叩かれた。

振り向くと、知らない女の子が2人いる。見たこともない顔なので多分1年生か2年生だろう。

「高松さん、写真撮ってもらっていいですか?」と。「かっこよかったです」と。

何なんだこれは。まさかとは思うが、そのまさかなのか!

さっきのリレーの走りっぷりに感服した女子高生が、感極まって記念写真を撮りにきたのか!何という事でしょうか!

「これは、モテている言ってもいいでしょうか」

「いいでしょう。」

その後も体育祭が終わるまで、何人かの女子生徒に声をかけられては、一緒に記念写真を撮った。

そして体育祭の数日後に、一年生に告白をされた。。

同学年の女子に校庭の隅に呼び出されて、言ってみると、高校一年生の女子が恥ずかしそうに待っているではないか!

「先輩、好きです」と。ときめきメモリアルでしか聞いたことのない、フレーズをじかに聞いた。

これが、私の人生で最期にテンションが上がった時。

ちなみにその一年生とは、付き合う事もなく丁重にお断りをしました。理由はよく覚えてないが、ときめきメモリアルのフレーズを聞けただけで、満足してしまい「付き合う」には至らなかったのかと思われる。

足が速いだけでモテるなんて小学生までかと思っていたら、案外高校生までいけた。

これも全ては、近畿高校陸上競技連盟(こんな連盟あるのか知らんが)の大会日程のおかげと、近畿大会のメンバーに選んでくれなかった顧問の先生の粋な計らいのお陰である。

40歳になっても、足が速いだけでモテるのであれば、必死に練習するのだが。。

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