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20201128 横浜にて

ワインを片手に語らう二人の女。下品に笑うしゃがれた声が右耳から容赦なく流れ込んで、脳を劈く。
店選びを間違えた。狭いテーブルの上に並んだ料理達が、一瞬で色を失うような錯覚に陥った。
向かいの席に座る大学時代の親友は、何も言わずとも恐らく分かっている。勝手にちょっとだけ“同類”だと思っているから。
案の定彼女は眉を顰めてこちらに視線を送る。
声が……しんどいね、うん、しんどい。
言語化するのならば、そんなところだろうか。
料理自体は美味しいのだ。ドリンクも申し分ない。ただ、隣のテーブルに座った客との組み合わせが悪かった。
一般的な人から見ると何の変哲もない談笑なのだろう。でも私には駄目だった。
その声という名の音も、紡がれる言葉も、纏う雰囲気も、何もかも。
正社員、使えない派遣、ボーナスの使い道。
件の二人組の片割れから発せられる単語は鋭利なナイフとなって、この社会を生きる上ではあまりにも無防備な私に向かって容赦なく突き刺さる。
女は当たり前のように正社員として働き、無能な派遣社員に手を拱きながらも今期のボーナスの使い道に迷っているという。
贅沢な悩みだと思った。無能な派遣社員であろう私が欲しくて欲しくてどれだけ手を伸ばしても掴むことができなかった『普通』がそこには存在するのだから。
嗚呼でも私が無能な派遣でいられるのもあと一ヶ月だった。今年いっぱいで契約切られるんだった。笑ってしまうほど理不尽な理由だったけれど。
こうして今日もまた生きづらさが積もっていく。そして、理由もなく今が辛いのは全て自分が悪いのだと自己嫌悪に陥る。
実際全て自分が悪いんだろうな、存在そのものが。
腹を痛めて産んでくれた親には申し訳ないが、私はきっとなかなかの失敗作だ。

友人については『ちょっとだけ“同類”』と述べたが、それはあくまでも性質の話である。主に音や言葉に敏感な部類であると感じている。
それでも彼女は私から見ると大層上手くやっている。正社員で、適齢期に結婚して、それなりの給与を確保している。社会に順応している。
隣の芝生ならぬ向かいの芝生がとてつもなく青い。羨んだところで何が変わる訳でもないのに。こんなにも違う。
「私はとてつもなく羨ましいよ、貴女が」
「夏鳴さんは夏鳴さんだと思うけど」
そうかな。私は私が大嫌いだよ。
真っ当な道を歩めないことも、社会で生きることに到底向かないこのクソみたいに邪魔な個性も、何よりそれでもマジョリティの社会にしがみつきたいと性懲りもなく願ってしまう心の弱さも。
いい加減諦めなよ、私。アンタはどう頑張っても『普通』ではいられないんだ。
辛い、生き苦しい。それしか言えない。これが現実だ。
それなのにこんな奴でも見捨てずに友達でいてくれるんだね。ありがとう。ごめんね。
そんな言葉が喉の奥から吐き気と共に込み上げたけれど、結局音にはならなかった。


京浜東北線に揺られながら、往路で気休めに買った四柱推命の薄い冊子を開く。
土星人のマイナス。へえ。私、来年には大殺界抜けるんだって。
それじゃあここから私の全てが変わってくれよ。なんて。
こんなにも脳味噌を殺すのならば、レモンサワー一杯では足りなかったな。
こうして私は来年も再来年もその先も、死ぬまで苦しさと隣り合わせなのだろう。
歪んでる? 知ってるよ、そんなこと。

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