ピエタ
Pietà
聖母マリアの慈悲
ピエタ(Pietà) とは、イタリア語で慈悲の心、敬虔、信仰心などを意味する。イエスの礫刑後、十字架から降下されたイエスの亡骸を膝にのせ悲しみに打ちひしがれている聖母マリア像をピエタと呼ぶ。
ピエタ像は、14世紀初頭にドイツ南部、スイスなどで木造彫刻として発生した。ドイツ語圏では、悲しむ母(Schmerzensmutter)像とも呼ばれる。以来、多くの画家、彫刻家たちが数々の名品を制作している。
なかでもミケランジェロのピエタは、私がイタリアに行くと必ず言ってもいいほど目にする作品だ。ローマのヴァチカン市国の聖ペテロ大聖堂に、フィレンツェの大聖堂美術館に、ミラノのスフォルツァ城内の展示館にミケランジェロのピエタがある。
ローマの聖ペテロ大聖堂はセキュリティのために半時間ほど入堂に時間がかかることがある。その待ち時間を差し引いても余りある感動が待っている。堂内入ってすぐ右手の礼拝堂のミケランジェロ青年時代(1500年、25歳頃完成)のピエタだ。
荘厳な聖ペテロ大聖堂の側廊の礼拝堂に置かれているのでいやが応にも手を合わせて祈りたくなる。
作品完成当時、若い聖母マリアに批判があったが、ミケランジェロは“永遠なる乙女は永遠に若い”と応えたというエピソードが残る。聖母マリアの右から左下に流れる襷に「MICHAELAGELUS BONAROTUS FLORENTIN FACIEBA」(フィレンツェ出身のミケランジェロ・ボナロッティ)の署名が入っている。
ピエタ展示後、ピエタは二流彫刻家の作品だという噂を聞いたミケランジェロが署名を彫り込んだといわれいる。彫刻家唯一の署名入り作品でもある。
花の聖母大聖堂と呼ばれるフィレンツェの大聖堂は、名前通り美しい緑、薄紅色の大理石を使った外観の美しい大聖堂だ。
堂内に入ると大きな空間が広がる。壁面などに聖画、聖像が少ないので他の荘厳な聖堂に慣れた訪問者に期待外れと思われるかもしれない。そうした方にお勧めなのは、大聖堂裏手にある大聖堂博物館の訪問だ。近年、改装して内部の展示方法なども現代的になり鑑賞しやすくなっている。
メイン・ホールの大聖堂、洗礼堂のファッチャータ(正面部)の再現、オリジナルの彫刻群には圧倒されるばかりだ。
何と言ってもこの博物館のハイライトの一つはミケランジェロのピエタだと思う。広いホールの中央に置かれたピエタは彫刻家老齢期(75歳頃)の作品で、現在大聖堂博物館に置かれていることからドゥーモのピエタ、フィレンツェのピエタと呼ばれている。
ミケランジェロは制作中に出来具合に不満であったためにハンマー入れ破壊し、放置されていたものを彫刻バンディーニが購入していたことからバンディーニ(Pietà Bandini)のピエタとも呼ばれている。
後に左側に弟子の一人がイエスを支えるマグダラのマリアを付け加えた。天才と凡才の違いが如実に知らしめる作品ともなった。
もともとミケランジェロの墓石彫刻として彫られたといわれ、ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に置かれる予定だった。イエスを聖母と共に十字架から降ろすニコデモは彫刻家の自刻像といわれる。ユダヤの指導者たちに糾弾されていたイエスを弁護していたニコデモに我が身を投影させていたのだろうか?
ミラノにもミケランジェロ晩年の作品として知られるピエタがある。
ミラノの中心部、スフォルツェスコ城の特別展示室に展示されているロンダニーニのピエタだ。ローマのロンダニーニ邸にあった彫刻をミラノ市が購入したことから、そう呼ばれるようになった。
当初、城内の古代美術館に展示されていたが、2015年から城の一部を改造し、ロンダニーニのピエタのみの展示になっている。本作のファンのみが訪れる展示ホールなので、訪問者が少ない中で静かに鑑賞でき美術愛好家には嬉しい展示ホールだ。
フィレンツェの十字架降下のピエタから、最初の青年期に制作したピエタに戻り、聖母マリアがイエスの亡骸を抱く、といわれるがむしろ降ろされたイエスに覆いかぶさるかのようなピエタだ。
制作開始は、フィレンツェのピエタと同時期とされるが、晩年、目も見えず、挙動もままならなくなった死の直前、90歳近くまでノミを石にいれていたといわれる。
最晩年の作品で、何事にも満足できなかったミケランジェロらしく未完成の作品の美しさもある。
ロンダニーニ邸はローマ旧市街の中心部コルソ通りにあり、その中庭にロンダニーニのピエタが置かれていた。通りの反対側には文豪ゲーテが住んでいた館がある。文豪ゲーテがあまりにも文学的なこのピエタを見ていたとしたら、と思うと想像を逞しくしてしまう。残念ながらゲーテの「イタリア紀行」にはピエタの記述はない。
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