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聖ヤコブのタルト

ヨーロッパではコロナの影響で野外スポーツとも言える巡礼は大人気。ヨーロッパには数々の巡礼地、巡礼路があるが、一番人気は、聖(大)ヤコブの墓があるとされるスペイン北西部のサンチャゴ・デ・コンポステ―ラ(以後、SCQ)への巡礼路だろう。人によっては1、2か月かけてフランス、イタリア、ドイツなどからSCQを目指す。長い巡礼路の後、SCQでアーモンド・ケーキ、トルタ・デ・サンチャゴ(Torta de Santiago)が待っている。

SCQに入る前、多くの巡礼者たちは郊外の丘の上にあるゴザ公園からSCQの街を遠くに眺め、そして巡礼者たちの像を前に記念写真を撮ってから、いざ、SCQを目指す。

SCQへの巡礼路は、春から秋にかけて多くの人たちが巡礼に訪れる。7月中旬から下旬にかけては、学校休暇も始まり、聖(大)ヤコブの記念日(7月25日)とも重なるので多くのスペイン人巡礼者がSQC周辺に集まる。その時期は、SCQの中は巡礼者たちで溢れんばかり。

7月25日の聖(大)ヤコブの記念日は、聖(大)ヤコブがスペイン国家の守護聖人ということで、国家の重要な祝日となっており、この日はマドリッドからスペインのロイヤル・ファミリーがSCQの大聖堂を訪れ、特別ミサが行われる。

スペイン陸軍のブラス・バンドに先導され、ロイヤル・ファミリーが大聖堂広場へ到着。

特別ミサに先立ち、大聖堂前の広場では、国王夫妻、娘たちも参列して式典が開催された。

式典の最中に、スペイン空軍の落下傘部隊がスペイン国旗を広げながら、大聖堂前の広場に舞い降りた。

この日の特別ミサへの参列は、ロイヤル・ファミリーと政府高官、州政府の役人たちに限られ、一般信者の参列は許されない。基本的には大聖堂周辺への立ち寄りも制限される。

特別ミサが終了するまで広場も閉鎖され、一般巡礼者も観光客も立ち入りができない。
午後3時頃からは広場も大聖堂も一般信者、巡礼者、観光客に解放される。
現在の大聖堂は13世紀半ばに築かれた。それより300年ほど前の9世紀頃、イスラム勢力に占領されていたスペイン北部が解放され、聖(大)ヤコブの墓も発見され、司教座となる教会も築かれ、巡礼が始まった。

通常、朝、夕のミサは観光客の立ち入りは禁止される。聖(大)ヤコブの記念日にも通常の朝夕のミサは行われ、信者のみ参列が許される。

SCQは人口約9万5千人の門前町にしては、ケーキ屋さんが多い。長い巡礼のご褒美?なのか、疲れを癒すためか、「サンチャゴ(聖ヤコブ)ケーキ(Torta de Santiago)」が売られていた。
アーモンド風味のサンド・ケーキで甘味控えめで紅茶などに合う。ケーキの中央には剣の紋章が描かれている。12世紀に創設されたサンチャゴ騎士団(Orden de Santiago)の紋章だ。


聖人録

聖ヤコブ


Santiago

聖ヤコブは、イエスの12使徒の一人で使徒聖ヨハネと兄弟とされる。使徒の中に"ヤコブ"は二人いることから、ゼベダイの子聖ヤコブ、または聖(大)ヤコブと呼ばれる。
兄ヨハネ、アンドレ、シモン・ペトロと共に漁をしている最中にイエスに召命された最初の弟子の一人。スペインでは、イエスの昇天後、イベリア半島を宣教したと信じられている。
サンチャゴはスペイン語、英語ではジェームズ(James)、イタリア語はジャコモ(Giacomo)、フランス語ではジャック(Jacque)、ドイツ語ではヤコブス(Jacobus)。


聖(大)ヤコブは、スペインをはじめ多くのスペイン語圏の守護聖人。職業では、医師、薬剤師、乗馬をする人、毛皮職人、カキ養殖業者などの守護聖人。
サンチャゴという言葉は戦いの時に鬨(とき)の声としても使われ、日本でも江戸時代初期に島原の乱で天草四郎が率いる軍勢が"サンチャゴ"と雄叫びをあげて戦っていたという。

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