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恥ずかしながら帰って来ました

15年ぶりに芸人に復帰した
上前田ししょうと申します。

私が何故もう一度芸人復帰しようと思ったか
自己紹介をかねて、
お話したいと思います。

引退したのが、2006年です10年位活動をし、
子供も出来てサブミッションズというコンビも解散して、ピン芸人で活動をしてましたが
結果も出ず、だんだん芸人生活に不安も出てモチベーションも低下し、やる気もなくなり逃げる様に辞めました。

その後は地元でサラリーマンをして、家族の為に生活をしておりました。

辞めてからの生活は
子供達と一緒に行事参加したり、
子供達の成長を身近で感じながら
自分自身も成長出来る生活は
とても楽しく素晴らしい時間でした。
実際、子供といる時は楽しかったです。

しかし、仕事をしている時は、
当然ですけど、全然楽しくなかったです。

また、お笑い番組は一切観なかったですね
もう、お笑いとは縁を切りたかったですし
観たら悔しくなりますからね。

そんな生活を10年ぐらいしていたら
また、芸人やりたいなと
あの頃の刺激が欲しいと、心と身体が
求めて来る様になりました。

でも、家族の為には戻ってはいけない
今更、芸人に復帰しても無理だと
現実の事を考えると家族もいるし
これからどんどん生活費も必要になるし
そんな事をしている場合ではないと
自分に言い聞かせていました。

それに、15年も辞めていた奴が通用するほど
甘い世界では無い事も一度芸人をしていた
自分はわかっていましたし、
辞める時に気持ちよく送り出してくれた、
先輩方、同期、後輩、関係者の方々が
どう思うだろうか、不安でしたし申し訳ない
気持ちもありました。

また、芸人をやるなんて馬鹿な事は
恥ずかしくて誰にも言えないし
誰にも相談できず、自分一人でその気持ちを
抱え込んでいました。
なので、芸人復帰しない方向に気持ちを
持っていっていました。

でも、ホントは会社を辞めてまで、
芸人をやる自信がなく、
勇気も無かったんでしょうね。

ところが、ある出来事をキッカケに
そんな自分が芸人に復帰を決めました。

それは
50歳の誕生日を迎えた時でした。
50歳という年齢はもう完全おじさんです。
身体のいろいろな所で不具合も出て来まし、言い方は変ですが、
後何年生きていけるのかな
そういう事を考えるようになりました。
更に、サラリーマンでは60歳か65歳が定年と言う事は、後10年サラリーマンで人生が終わるんだなという寂しさ。
でも、家族の為にはサラリーマンで終わる方がいいに決まってると、自分自身にそう言い聞かせていました。

しかし、
もう50歳だし家族には悪いけど、
どうせなら、好き事、やりたい事をして
人生を全うしたいそんな思いが抑えられなくなりました。
それに芸人時代の出来なかった悔しさもう一度やり直したい、自分勝手だけど燃え尽きて人生を終わりにしたい。
それをやるなら今しかないし定年してからでは遅いという思いが身体の中から溢れてきました。
誕生日ケーキの火を消した時に
逆に復帰という火がメラメラ燃えてきました

よっし、一か八か勝負しよう!
もう、覚悟を決めてやるしかない!
心の中で家族に
『わがままでごめんね』
と謝り
絶対に結果を出して、
家族を幸せにするそう決心しました!
復帰して、しんどくて大変だろうけど、
好き事しているんだからやるしかないし
感謝して生きていく!

そういえば、
今までの人生を振り返った時に
何もかも中途半端だったし
覚悟を決めてやった事ないし
そんな自分がホントに嫌だった
最後に好きな事を覚悟をもってやりたい
世間に馬鹿にされても好きな事を
必死にやり生きる事おじさんだから、
とか言う事じゃなくて
一人の人間として悔いのない生き方をしよう周りに何を言われても気にしない
これから、
大変だろうが必死やろうと
俺の人生一度きりだし、子供達に自慢できる生き方をしようそんな思いから、
15年の歳月を経て復帰を決意しました。

復帰してから厳しい事は想像していましたが想像以上に、厳しく何も出来ない自分に
今は情けないし悔しいです。

でも、
芸人として生きていくと決めた以上
前回みたいに後悔したくないので
悔しくも情けなくても、
覚悟をもってやるしかないですし 
好きな事が出来る事に感謝してます。

泣いても笑っても人生一度だけ毎日悔いのない様に頑張ります!

ちなみに、今はモノマネおじさん芸人として活動してます。

市川猿之助さんのマネなどしてます
お仕事待ってます宜しくお願い致します!










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