雑談:「勉強」の方法 (一)
上記記事へのコメントと言いますか、なんというか…(笑)
簡単に要約すると、今後の社会は現在よりさらに知識偏重/知識を持つ人、勉強することが苦にならない人にとって有利な社会になる。その結果、あまり知識を得ることを重視しない人/苦手な人にはより厳しい社会になるだろう。みんな勉強して自己防衛をしよう、という話。実際その通りだと思います。
ただ問題はですね。「勉強しようと言われてもどう勉強したらいいのかわからない人が多数派なのではないか」ということではないか。白饅頭さんからのアンサーも、たとえば投資なら「本屋に行ってそれを解説している本を読みましょう。詳しい人に聞きましょう」というもので。詳しい人に教えを請う、という話だと「どうやってその伝手を得るのか」という話になりますし、本屋に行って関連書籍を読んで誰もが理解できるのなら投資セミナーみたいな「商売」が繁盛するわけないんですよ。口の悪い物言いをすると「何か言っているようで実は何も答えていない」のではないか。
で、タイトルの話になるわけです。まあ実のところタイトルも正確ではなくて「勉強に対する諸々の誤解や錯誤を排して、実際に身になる手段を記述したものの断片」という、昨今のラノベじゃないんだからと言いたくなるようなものがこれなんですがね(笑)。
そもそも「勉強する」ってなんだと考えますか。
私達のほとんどは義務教育を受けてきているわけで、少なくない人はそれに加えて高校大学とさらに「勉強」をするわけですから、今更「勉強とは何か」という問いを立てられても「これまでやってきたこと」になると思います。社会人になってからも昇級や転職等で勉強する必要がある人も少なくないでしょう。そうした一連の行動/プロセスをもって「勉強する」と理解しているのではないか。
まずここからいきましょうか。その認識は間違ってはいませんが正しくもないです。先に難しい言い方(結論)から書くと「勉強とは、諸々の知識を通して認識を改めて、思考の道筋をアップデートすること」です。平たく書くと、考え方の幅を広げること/物事の見方・捉え方を変える手段を増やすこと、になります。
知識を頭に詰め込んでもそれは「知識が増えた」ことでしかないわけですよ。その得られた知識をどう活用するのか/活用できるのか、を含めて考えないと「勉強したことにはならない」。知識の多寡は、その知識を活かせる場で出来ることを増やすための材料に過ぎない。頭でっかち、という人を見ることがあるじゃないですか。あれがまさにそうで、知識だけ増やして運用を考えないとああいうことになる。逆の視点で見ると「運用する」という状況を考えずに知識だけ増やしていっても、それもまた「勉強したことにはならない」と。語学勉強が一番わかりやすいかもしれません。実際に使う場所が無いままに語学を勉強しても一過性のものになってしまう。まあ、英会話とかと違って語学そのものは「原語を読む/書く」という手段がありますから無駄になっている人は無駄にしているだけだと思いますが(笑)。「学校で習うことは役に立たない」という話も、結局はこれなんですよ。
「本屋で関連書籍を読んでもそれだけでは勉強にならないし勉強したことにもならない」
上記を読んだ後ならすんなりと理解できると思います。株式投資なら本を読んだだけの「わかったようなわからないような状態」のままに運用に手を出すより、新聞等で公開されている株価情報や四季報等を使ってバーチャルシミュレーションを繰り返してみるのがいいかもしれません。そういう行動を繰り返していけば本の内容も実感を持って理解できるでしょうし、書籍によっては「あっれれぇ、おっかしいぞぉ?(CV:高山みなみ)」と思える記述をみつけて、より参考になる本を選択できるようになるかと思います。闇雲な「努力」はしばしば人を裏切りますが、「適切な努力」はまず裏切りませんからね。そこの見極めも大事かと。
ただこの話、あくまでも「勉強するとはどういうことか」の一断片を書いただけなので、もう少し続きます。お付き合いいただければ幸い…
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