見出し画像

読書録/大友の聖将(ヘラクレス)

◼️大友の聖将(ヘラクレス) 赤神諒著 角川春樹事務所 2018年

 キリシタン大名としてその名を歴史に残した大友宗麟。キリシタンによる理想国家の建設を目指して日向攻略を目指した「耳川の戦い」で敗れ去り、島津家久に押されて風前の灯のごとくなっていた時代を舞台に、その配下として最後まで宗麟を支えたキリシタンの武将、天徳寺リイノの生き様を描いた歴史エンターテイメント小説である。

 歴史エンターテイメント小説、とわざわざ書くのは、巻末に著者による断り書きがあるからで、その生涯についてよくわからない天徳寺リイノについて、想像を膨らませて描いたものだという意味であろう。そうであっても「そういう武将がいた」ということを知ることができたのは、ありがたいことである。だが、史実をもとに膨らませた、というふくらみの部分に、いろいろと引っ掛かりを感じたことも否めない。

 本作は二部構成になっており、第一部では若かりし日、悪鬼と呼ばれ極悪非道に働いていた柴田治右衛門(のちの天徳寺リイノ)の姿を描く。第二部では、宗麟の信任とキリスト教の信仰を得て天徳寺リイノと名乗るようになった彼の活躍と最期を描いている。

 そのテーマは「人は変われるか」。キリシタンを演じて教会に入り込み、アンチキリストの大友宗麟の正妻、奈多夫人の差し金で教会を放火しようという柴田治右衛門。周囲のキリシタンらのように信仰の道に入れないのは、「もし神がいるなら、なぜオレはこんな辛い目に遭わなきゃならんの?」という、現代人に典型的なお悩みでつまずいているからで、その心情の描き方が、ある意味よくあるパターンというのと、心の闇に本当の意味で突っ込んでいっていないという上っ面な感じの筆致があって、なかなか読み進めることができなかった。

 もう一つは、治右衛門もそうだし周りの人間もそうだが、主人の側室を寝取るとか、そういう男女関係のもつれの話が延々続き、それもまたある意味上っ面な描写に終始する。歴史小説というよりも歴史をモチーフにしたラノベを読んでいるような気分になり、なかなか世界に入り込めなかった。

 それが第二部になり、がぜん面白くなるのは、島津勢の前にもはや風前の灯となった大友氏、しかもプライドだけは高く気まぐれにすぎる宗麟を、最後まで支え続けるために獅子奮迅の活躍をするという展開にあるからだ。前半で提示された宝の持ち腐れの大フランキ砲「国崩し」が火を噴く光景を期待して、ぐいぐいと、大友宗麟を守りきる天徳寺リイノの戦いへと引き込まれていく。

 だが、肝心の「なぜ、彼はそのように変われたのか」という点では、歴史エンターテイメントとしてはそれでいいのだろうが、時代背景でもあり、主人公を際立たせる設定でもある「キリシタン」ということ、その信仰のゆえに変わったという部分が弱く、むしろ周囲の人々が示すヒューマニズム的な人の親愛と英知に影響されて変われたのかなあ、という印象に終始してしまった。やはり、大友宗麟とその周辺を描くなら「キリシタン」という要素は特筆に値するものなので、もう少し深みがほしいなと感じた。

 それに加えていうならば、キリシタンで編成された「天徳寺兵」が戦で死ぬことを「殉教」ということにも、もやもやしたものを感じる。いやそれは戦死であって殉教ではないでしょ、と思ってしまうのだ。リイノに接するトルレス神父のあり方も、ややプロテスタント的で、そういう点も、描写がすごく表面的だなと感じる一因となった。

 史実かどうかは別にして、主人公、天徳寺リイノの背後にいる大友宗麟という人物の、「それでもキリストにすがる」という道を選んだ、その理想としたものの大きな像が描かれないと、リイノという人物も引き立たないのかなと思った。

ヘッダー写真は、臼杵城(大分県臼杵市)。大友宗麟の時代には、前身となる丹生島城が築かれていた。





この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?