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読書録/回想の織田信長 フロイス「日本史」より

◼️回想の織田信長 フロイス「日本史」より 
 松田毅一・川崎桃太編訳 1973年 中公新書

 信長、秀吉、家康の戦国三英傑といえば、大河ドラマでもひときわ人気の存在である。なかでも信長人気はすさまじく、小説、ドラマはもとより漫画、ゲームなどを通じて全国・全世代的に高い人気を誇り、テレビ朝朝日系で2019年12月・2020年4月に放送された「国民10万人がガチ投票!戦国武将総選挙」では、全国10万人による人気投票で堂々の1位に輝いた。

 そうした信長人気の土台となる「人物像」を今に伝えた最大の功績者は、信長のそばに仕え、のちに信長の一代記である「信長公記」を記した太田牛一に違いないが、私は個人的にはもう一人、当時ヨーロッパから訪れ日本宣教に心血を注いだキリスト教宣教師で、大著「日本史」を表したルイス・フロイスを推したい。

 ・・・彼は中くらいの背丈で、華奢な体躯であり、髭は少なくはなはだ声は会長で、きわめて戦を好み、軍事的修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。彼は自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。幾つ感kとでは人情味と慈愛を示した。・・・

 フロイスが記録した信長像は、そのまま、私たちがドラマなどで演じられる信長像そのものとつながっているのではないだろうか。

 フロイスが著した「日本史」は2000年に完訳された全12巻におよぶ大作だが、本書はその中から、フロイスが直接面談し、また彼の同労者である宣教師たちが出会った信長と、信長をめぐる当時の情勢について記した部分を拾い出してまとめたものである。

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 ルイス・フロイスは1532年にポルトガル・リスボンの貴族の家に生まれ、16歳でキリスト教カトリックの修道会のひとつ「イエズス会」に入り、リスボンを出てアジアを目指した。フランシスコ・ザビエルとの出会いから日本宣教に導かれ、1565年に京都で将軍足利義輝に謁見、その4年後には織田信長の居城である岐阜城で、直接信長との対面を果たした。フロイスは日本語を学び通訳として活動する一方、文才を買われて宣教活動などについて報告する数多くの書簡や著作を残すとともに、自らが体験、目撃した激動の時代の日本の姿をまとめた「日本史」を書き上げるなど、65歳で長崎で病没するまで、精力的に文筆活動に取り組んだ。

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 その後、フロイスの「日本史」は数奇な運命をたどり、原本はすべて失われてしまうが、散逸していた写本が集められ、400年の時を経たのち、失われた一部をのぞく全編が20世紀に入ってようやく出版された。私たちが今フロイスの著作に触れることができるのは、まさに「奇跡」というほかない。その経緯についても、本書冒頭で紹介されている。

 信長は非常に強烈な個性を持つ人物として知られるが、そんな信長と対面したフロイスもまた、ある意味強烈な個性の持ち主だった。その一つが、あらゆる雑多な事柄までなんでも書き留める「記録マニア」であったことだ。そのため、文章が冗漫に過ぎるとフロイスに「日本史」編纂を命じた巡察師ヴァリニャーノを呆れさせたようだが、彼がそのような個性を持ち合わせていたために、私たちは著作を通じて、当時の日本の政情や世情をはじめ、都市の様子や岐阜城、安土城の有様などを知ることが可能となった。これもまた、「奇跡」というほかはない。

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 本書では、特に織田信長との出会いから、荒木村重の謀反と高山右近の動向、そして本能寺の変までをピックアップして紹介している。フロイスの癖なのか、指示代名詞が多すぎてよくわからない文章になっているところも多々あるが、その時代の日本を、日本人ではない外からの視点で客観的に捉えて書き記した、その記録は、その現場に居合わせたからこその高揚感を伴って、強い印象を与えてくれる。本能寺の変のあと、大混乱に陥る安土城下と、そこから怪しい盗賊の船に乗って琵琶湖の島、沖島を経由して坂本城へ渡ったオルガンティーノ師一行の逃避行など、活劇を見ているかのようなハラハラ感があり、歴史が激動する渦中にいるとはどういうことか、を教えてくれる貴重な史料となっている。

 また、キリシタン大名として知られる高山右近の描写には、特に大きな思い入れを感じるが、彼らがキリスト教の宣教を目的に来日し、その成果として彼の存在があったことを鑑みれば、それもまた当然といえるだろう。当時のヨーロッパは生まれた国民はすべて幼児洗礼を受け、生まれながらにキリスト教徒という状態であったから、はるか海の彼方の異教徒の国に来て、彼らははじめてキリスト教を伝える、という大事業に取り組んだのだ。右近の描写からは、故国を捨て、命がけの宣教で新たな信仰者を得たという、ヨーロッパにいては決して味わうことのできない大きな喜びが背後にあることを感じさせてくれる。彼らは聖書の「使徒行伝」の続きをまさにそのとき、体験していたのではないだろうか。

 自らを神として崇めよ、とした信長をフロイスはその宗教的価値観の違いから酷評するが、それでも「彼がきわめて稀に見る優秀な人物であり、非凡の著名な司令官(カピタン)として、大いなる賢明さをもって天下を統治した者であったことは否定し得ない」と、その死を悼む一文を残している。彼の目を通して見た信長は、今もこうして私たちを魅了し続けているのである。

ヘッダー写真、安土城を描いた復元図は、JR安土駅前にある「安土城郭資料館」にて撮影。フロイス神父書簡は、2015年に岐阜城天守閣にて撮影。(展示はリニューアルされているので、現在見られるかどうかは不明です)



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