大学院生警備員の小砂14:生活のリズムをじぶんで作曲してみましょう。
ここの話は私が20代の頃のしょうもない経験と考えたことを元に回想し、解釈しているだけで、必ずしも正しい知識ではないことが含まれていることをあらかじめおことわりしておきます。
1992年、夏。私は朝の新聞配達以外は「引きこもり」のような生活から少し歩みだし、20歳の時に東京江東区のとある高層ビルで警備員のアルバイトにを始めました。夜間のアルバイトです。そして、夜勤の警備員アルバイトをしながら、21歳の時に大学生になりました。
さて、かなり時間をすっ飛ばしてしまいます。すっ飛ばした時間の出来事についてはまた機会があればどこかで書きたいと思います。
24歳で卒業後、就職をせずに浪人し、自動車工場の期間工を経て、25歳で大学院に入学しました。こんどのアルバイトも警備員ですが、場所は病院です。病院の警備は、大学生の時の警備り、警備員らしい仕事をしていましたが、これも勉強になりました。
関東出身の私が関西での一人暮らしを始めましたが、生活世界の環境が変わることは新しい行動をするためには良い場合があります。テレビCMから流れる「関東電気保安協会」と「関西電気保安協会」の音楽と同じくらい、生活のリズムが変わります(嘘です)。
大学生で「普通」を目標にしていた私にとって、実はその「普通」にも様々なしがらみやバイアスがかかってしまうものです。しがらみも実は大切なものだと思うのですが、ある一定期間、そこから離れてみることは生活を変えたいと考えている人にとって良いチャンスになると思います。
家賃は21,000円のアパートでしたが、一人暮らしには快適です。ひょっとしたら、いつまでもそうしてはいけない生活なのかもしれませんが、そういう時間を持つという経験は大切なのだろうなと感じました。
そして、春日野道の商店街で量り売りで買い物したり、近所の銭湯に通ったてみたり、お気に入りの喫茶店でコーヒーやスイーツを楽しんだり、近所の人たちと立ち話してみたり、好みのパン屋を探しに歩いたり、勉強と研究と日常の小気味よい時間を楽しみました。芦屋の方まで阪急電車を使って「じゅん散歩」です。
教訓
生活のリズムを作曲してみよう。
おっ、昔の糸井重里さん的なキャッチコピーじゃないですか(笑)