大学生警備員の小砂11:愛知田原で期間工

ここの話は私が20歳の頃のしょうもない経験と考えたことを元に回想し、解釈しているだけで、必ずしも正しい知識ではないことが含まれていることをあらかじめおことわりしておきます。
1992年、夏。私は朝の新聞配達以外は「引きこもり」のような生活から少し歩みだし、20歳の時に江東区にある高層ビルで警備員のアルバイトになりました。夜間のアルバイトです。そして、夜勤の警備員アルバイトをしながら、21歳の時に大学生になりました。
さて、かなり時間をすっ飛ばしてしまいます。すっ飛ばした時間の出来事についてはまた機会があれば別の機会に書きたいと思います。

24歳で就職をせずに一年更に浪人して大学院に合格しました

合格から入学までの間、今思えば、他にやることいろいろあるだろうと思ったのですが、貧乏性だったもので、神戸での大学院生活に集中できるように期間限定の仕事をすることにしました。大学の同期はよく聞く名前の企業に就職し、一年目からボーナスが出たというキラキラした話を聞く中で私が選んだのは「自動車の期間工」でした。

今まで、5年と少々お世話になったビル管理会社のアルバイトを辞め、期間工として採用になった会社から送られてきた封書を頼りに、新幹線で名古屋に向かいました。名古屋駅に着き、所定の場所に行くとおそらく同僚となるいろいろな人のコロニーがありました。まもなく会社のバスが出迎え、旗を持った社員が手際よく皆を案内します。

集められた社屋で諸説明と健康診断の後、なんかの座学を受けました。つぎに、グレーの作業着と洗面器、会社のロゴが入った丸い湯飲みを受け取ります。そして、それぞれの期間工の配属先が伝えられると翌朝バスで出発するのです。私が配属に貼ったのは愛知県田原町の工場でした。

工場の宿舎に着くと、個室に案内されました。小さなテレビとポット、布団がある6畳間ほどの部屋でしたが、ちゃぶ台と備え付けのクローゼットしかないので結構広く感じられました。トイレやお風呂は共用でしたが、部屋もまあまあ清潔で特に困ることもなかったように記憶しています。一階には売店があり、ちょっとしたコンビニエンスストア位のラインナップです。

配属されたチーム名は忘れてしまいましたが、グループ長の優しそうなおじさんと、絶対元はヤンキーだったと思われるけれどもとても親切な反町隆史のような職工(すべての工程をスタッフとして指導する役割と思われる)のチームでした。そのほか、関連会社から出向してきている少し前までヤンキーだった完全金髪の若者や女性の工員もいました。

このチームで、スケジュールに従って、朝番、昼番(たしかこの時は2交代制でした)を週ごとに交互に担当します。朝番は早朝のまだ暗い時間に起きて、バスで会社に着くと社食で朝食を食べます。メニューもある程度選べますが、ほぼ納豆、みそ汁、ご飯、時々焼き魚のシンプルなメニューを選びましたが、味はとてもおいしかったように記憶しています。

こんな感じで、工場で働きながら、空いている時間は英語の文献を読むという生活を5か月位続けるのでした。そして、健康に20㎏ほど体重が落ち、ちょいマッチョになりました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?