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OH!へんろ。親子の88か所巡り(64番札所):石鈇山 前神寺(愛媛県)

わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。

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今日の煩悩:

寺院創建の縁起を見ると、例えば、弘法大師が何やらを「感得」したという話が出てきます。

面白いもので、人間は同じ景色を見ていたとしても、同じ情報を得ているわけではないようです。色覚などに物理的な制約がある場合もあれば、認識のフレームワークが違うという場合もあります。そして、ひとはそれぞれ何やらを「感得」してしまうのでしょう。

研究者について話すとですね、分野にもよりますが、その一番重要な条件のひとつかにやはり「感得」のようなものがあると思います。たぶんですよ、博士課程に入学する前には面接などで「貴方がそこに何かあると感得した経緯について聞かせてください」(そんな言い方はしませんけどね)という趣旨のことを聞かれることがあると思います。

出身学校の入学難易度や成績が良いことが「良い研究者」であることを(必ずしも)妨げるものではありませんが、与えられた問題に解答する能力と、問いを立てる能力のどちらが長期的に見た研究者の適性かといわれれば、後者かなと思います。

ある程度長期にわたって特定の課題を突き詰めていくわけなので「それを考えなきゃ私はよう生きて行けへん」と感じた何かを持っていることが役立つことがあるのです(すべての分野ではないでしょう)。そのうえで、基礎学力(語学力、論理的思考、数学、コンピュータースキルなど)があれば、もちろん、グレートです。

しかし、テクニカルなことも大事なんですが、逆にテクニカルなことだけが優等生でもなかなか独自性のある研究を続けていくには難儀します。それに、入学難易度と成績で決まるのであれば、一部の有名大学からしか研究者になる人がいなくなりますね。有名大学を修了すれば必ず研究者として働けるわけでもないし、実際のところ、いろいろな大学の、いろいろなバックグランドを持った人が研究に取り組んでいます。

私も子どもと意識的に長く接するようにしていますが、「何々は面白いよ」とか「何々は将来有望な分野だよ」とか、意図をもって子どもたちに話してみても、彼らの心に(ビビッと)響いたことはほぼないと思います。寧ろ、興味を示さなくなりことの方が多い気もします。

ただ、大人自身が「(大変だけど)楽しそうに」「夢中に」取り組んでいることを見ると、子どもたちの中には何らかのポジティブな意識が生まれるようです。そして、彼らから何かの問いかけがあった時に、大人がどのように返事をするか、応対するかは子どもの問題意識や創造性や人と協力して取り組もうとする態度にポジティブな影響を与えると思われます。

子どもと大人、目の付け所が違うわけですけれど、お寺やその周囲の人たち、自然環境に一緒にいることで、口では伝えなくても、何か共通することを彼らは「感得」してるのではないかなと思う時が多々あります。大人が思っているよりも、子どもは結構ものごとをしっかり見ているのですね。

御詠歌:

前は神後は仏極楽の よろずの罪をくだくいしづち

本尊:

阿弥陀如来

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創建:

七世紀後半

真言:

おん あみりた ていせい からうん

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歴史:

縁起によれば、天武天皇(在位673~86)時代に修験道の祖である小角が石鎚山で修行を積んだ際に、釈迦如来と阿弥陀如来が石鈇山大権現となって現れたのを感得し、尊像を彫って安置したとされています。その後、桓武天皇(在位781~806)が七堂伽藍を建立し、「金色院・前神寺」の称号を下賜されたそうです。後になって、空海(弘法大師)も護摩修行や断食修行などを行ったことが知られています。

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所在地:

愛媛県西条市洲之内甲1426

駐車場:

あり

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