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臨死体験

臨死体験をしたことのある人は少ないと思うが、私はその貴重な体験をした。

バイクを乗り回していた頃のことだが、真っ暗な中からふと目が覚めた。

目が覚めたらそこは硬いベッドの上で、どうしてここにいるのか状況が飲みこめない。
父母以外の久しぶりに見る親戚の顔も部屋中に溢れている。

何事だろうと考えるが、意味が不明だ。
目が覚めて、ただお腹が空いているだけなのに。

「どうしたの?」と聞くと
母親が「どうしたもこうしたもあるものか、お医者さんが『お前は助からない』というから日本中から親戚に集まってもらったんだよ」と喚いている。
顔中に母親の涙がかかってくる。

どうやら余命宣告をされていて3日間昏睡状態だったようだ。

頭の中には何もイメージがない。

無理に以前の記憶を呼び戻そうとすると、真っ暗な中からくっきりと、映像が出てきた。
踏切で一旦停止し、ウィリー気味にスタートしたところでプッツリと映像が消えてしまう。それから数分間真っ暗な空間が続く。

のちに大脳生理学を習ったが、人間の脳もコンピューターと同じで、ワーキングエリアとメモリーエリアに分かれていることが理解できた。

人間の脳もRAM領域上で作業し、一定時間経過後にROM領域に記憶される仕様になっていたのだ。

こういった理由で頭を強打した場合、作業中の記憶が数分間分消えてしまうのが当たり前のことだったのだ。

この体験をもとに、夢と記憶の関係が気になってきた。

よく臨死体験から戻った人の話を聞くと、お花畑があったり、三途の川を渡るのに奪衣婆がいて六文銭が、などと言っている。

夢のことを考えてみると、これとよく似ていて、夢とは、睡眠を妨げないような脳の働きで、ゴキブリが顔の上を走ったとか、蠅が止まったとかの外来の小さな刺激ぐらいでは目が覚めないように自分の脳内知識で物語を適当にでっち上げて合理化すること、だと習った記憶がある。

時々、夢判断などというものを聞いたことがあるが、脳の記憶領域にある知識からランダムに発生するのが夢なので、全くの嘘だとは思わないが、時系列が出鱈目になるので、塾考することをお勧めする。

臨死体験で、お花畑や三途の川を見た人は、命の火が消えていく時に体に苦痛を与えないように、脳が勝手に作り出してくれた虚像を見ているのだと理解することができた。

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