見出し画像

出世払いの金利〜初めてのお客様

誰でも社会人になってからの「最初のお客様」というのを覚えているものなのだろうか?

何度か同じ夢、というか記憶が出て来る。

大学を卒業して、銀行に就職した。

当時の新人研修はOJTなのだが、 4月1日の入行式のあとゴールデンウイークまで、同期約200人が一週間、研修所に缶詰となり、融資、預金、接客マナー等をみっちり勉強する。

その後最初の配属店は全員 1 年9ヶ月勤務と決まっており、その間に、融資係1年 2 か月、預金係7か月に配属され、その評価によって、次の配属店が決まるというものだった。

私は当時の大宮市内にある住宅地店舗に配属され、駐輪場の整理、ATMコーナーのご案内、法人融資、住宅ローン、窓口(ハイカウンター)、出納をやって、1年9ヶ月後に埼玉県南部の最初の支店の3倍近くの大きさの支店の取引先係(外回り)として、異動になった。

当然、外回りは初めてである。

取引先係は課長以下、全部で8人おり、

私は一番下で、「職域」を担当することになった。

職域とは、地元の法人先というよりは、大企業の事業所や支社の集金や、社員の住宅ローンやボーナス預金勧誘をするものである。

2年目ということもあり、まだ戦力外ということだったのだろう。私にノルマは課せられなかった。

毎日、11時半に経理部に行って現金や小切手を集金する、とある事業所があった。

集金が終わっても、12時15分まで居なければならない。他の社員の個人的な入金や新規口座の作成があるかもしれないからだ。
そういう契約になっていた。

ただ、そういう社員が来ることは実際にはほとんどない。

外回りを始めて、1週間くらい経っただろうか。集金が終わって、ボケっと時間が経つのを待っていた私のところに、隣の課の30歳代の女性がやって来て、こう言った。

「銀行屋さん、先週、国債が満期になったんだけど、なんか良い商品ある?」

当時の銀行はようやく金利の自由化が始まりだした頃で、3000万円くらいからなら市場金利連動性預金( MMC)というのがあったが、基本、普通の定期預金しかなかった。
当時の金利はもう忘れたが。

「定期預金ならありますけど。」

と答えると、彼女はケラケラと笑って、

「じゃあ、金利は出世払いね」

と言って、100万円の定期預金を作ってくれた。

その話を支店に戻って、課長に報告すると大笑いされ、

「お前、外回り向いてるよ。」

と言われた。

当時、その意味が分からなかったが、その後、自分が取引先係の課長になった時、「なるほど、そういうことだったのか」と思うことがあるが、今日はそれは書かない。

この支店は昔から、外回りの出たての人間が初めて預金を獲得した時は、外回りで飲みに連れて行ってくれる習慣があり、その日は金曜日でいろいろといじられ、酔いつぶされた。まだ土曜日が半ドンだった時代である。

這いつくばって出勤した。

その後、どんなに高額な億単位の土地代金や、退職金、生命保険金を獲得しても、今はもう、その方々を思い出せないのだが、

最初に100万円の定期預金を作ってくれた彼女の名前や顔は今もはっきりと覚えている。

それは初めての客だったからということもあるのだろうが、それだけではない。

自分の知識不足で、あの時、本当はもっと良い商品があったのではないかと思っているからだ。

昨日またその夢を見た。

「初心忘れるべからず」

という世阿弥の言葉がある。

ただし、これは一般で言われている「最初に思い立った考え。最初の決心。」という意味ではないらしい。

彼の言う「初心」とは「始めた頃の気持ちや志」すなわち「初志」ではなく、「芸の未熟さ」、つまり「初心者の頃のみっともなさ」なのだ。

初心者の頃のみっともなさ、未熟さを折にふれて思い出すことにより、

「あのみじめな状態には戻りたくない」

と思うことでさらに精進できるのだ、と彼は説いている。

そして、若い頃の未熟な芸を忘れなければ、そこから向上した今の芸も正しく認識できるのだとしている。

今の自分は初心を忘れているのではないか?

そういえば、いくつか思い当たることもある。

夢が反省を教えてくれた。
そして、更に思い出すのだ。

**まだ、彼女に「出世払いの金利」を払っていないことを。

**

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?