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目標は人を幸せにするのか。

これだけ選択肢が広がった世の中でも、
私達はなかなか自由を満喫することができない…
ように、私は感じている。

南の島で、1年くらいのんびり過ごしたいな~
とか
誰にも制限されることなく仕事をしてみたいな〜
とか

一度ぐらいはそれを考えてみるけれど、
現実的にその選択ができるか?と問われると、
なかなかに難しい。

この会社に捨てられたら生きていけない
と感じていれば、
会社に対してはどうしても服従的になるし、

この人に嫌われたら生きていけない
と感じれば、
その人の機嫌を伺うようになる。

一方で。

しょうがない、
いざとなれば、どっか違う国でやり直すか。
いざとなれば自分で食べていくか。

こんな感覚があれば、
所属や目の前のものに執着しない。
そうなると、思ったことを口にしやすくなるし、
何かに気兼ねをすることなく自由に動けるようになる。

これは、もしかしたら、
個人が持つ「どこでも生きていける強さ」
的な要素も多少は関係あるかもしれないが、

基本的には「勇気と適応」の問題だと思う。


これがなければ生きていけない!
みたいなものは、
実は、世の中にはほとんどないんじゃないかと、
自分は思う。

あるとしたら、
命と楽しむ気持ちくらいだろうか。

私の中には、
大抵のものは、なくなっても大丈夫という感覚、
もっと言うと、
本当に大事なものは決してなくならないという感覚
がある。

こうでなくてはならない、
という考えが多ければ多いほど、
選択肢は少なくなる。

なくなったら困るものからは、
人は自由になれない。

ただ、多くのモノは永遠じゃないから
「なくなったらイヤだな~」と思っていても、
それは、いずれはなくなるもんだ、
と思っておくくらいが、ちょうどいいのかなと思う。


話は変わるが、スポーツではよく
・目標を持ち、それに向かって努力すること
・もし目標を叶えても、さらに高い目標を掲げ、常に満足することなく飽くなき成長を続けること
が言われる。

スポーツの場合は分かりやすく、
どの高さまで行くのかがはっきりしていることがほとんどだ。

ただ、社会や人生においては、
その目標がもう少しフワッとしていて。
例えば、
大物になるとか、人を幸せにするとか、社会にインパクトを残すとか。

上述した例は、
誰が聞いても「いいね!!」と思えるけれど、
ところで具体的に何をするのか?というのが、
なかなか浮かんでこない。

ただ、いずれにせよ、
何か目標があった方がいいというのは、
多くの人が賛同する考え方なのかなと思う。


その中で自分は、目標について、
持ちたければ持てばいいし、
なければなしで、それもよし。
と考えている。

つまりは、あるがままでいいんじゃん?
というスタンスだ。
それによって、
誰かに迷惑をかけるかもしれないけれども、
その結果を引き受けるのは自分の人生だから、
それでいいよね、というものだ。

死ぬまで生きるだけだから、
自分の気が赴くままにやってみる。
でもまあ、失敗するかもね。

そんな感覚だ。

それが、1つのことにこだわりすぎない自分、
裏を返すと、
1つのことを極めきることができない自分に
つながっているのかなと感じている。

で、そのことに意味はあるのか?と言われると、
たぶんない。

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