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指導者としての『自負と責任』。(2018/10/15)

10月7日。
秋の新人大会ブロック予選が行なわれた。


さかのぼること、1ヶ月前。9月7日。
現役1、2年生チームは、学校史上最高の成績を残して引退した3年生との紅白戦を行なった。

結果は、3回時間コールド
「22-1」敗戦。

ピッチャー2人で与えた四死球は15を数えた。


ソフトボールは、「試合の8割はバッテリー」
と言われることもあるくらい、ピッチャーキャッチャーは重要なポジションを占める。

7月下旬に3年生が引退するまで、
現2年生バッテリーは、試合経験も投げ込みも、ほとんど積んでこなかった。
(指導における反省点でもある。)

その3年生の引退後から、漠然とピッチング練習を始め、
そして挑んだ紅白戦の結果は、上述の通り。


ミーティング後、ピッチャー陣に向ける、野手陣の冷ややかな目線や苛立ちが露わになった表情が、私の心を苦しめた。

たしかにその通り。
大量失点は、バッテリーが生み出した四死球が大きく起因している。

しかし、四死球を出したいピッチャーなんて、一人もいない。
入れたくても、入れられないのだ。
そして、ストライクを入れられないのは、
紛れもなく、私達コーチ陣のせいである。

さらに言うなら、野手陣も3年生ピッチャー相手に手も足も出なかった。
そうでありながら、自分達の力の至らなさよりも、仲間の力の至らなさに目が向いてしまうという、
その状況も、また苦しかった。


ただ、この日のこの試合こそが、私を奮起させるきっかけになった。

バッテリーコーチを申し出た。

4人いるコーチ達で、内野・外野・バッテリーを回しながら見ていたけれど、
あと1ヶ月で試合を作れるピッチャーになってもらうために。
(私自身はキャッチャー出身。それでも、ピッチャーを観察し続けた自分の『目』を活かしたいと考えた。)


次の練習から、ピッチング練習に使える限りの時間を割いた。
練習はじめに、バッテリーにこんな話をした。
「ピッチャーは、ソフトボールで唯一『自ら攻撃を仕掛ける』ポジション。ほとんどの野球漫画の主人公がピッチャーであるように、自分もみんなも期待を寄せる先は、ピッチャーなんだ。毎球毎球ボールに触れることができる、最高にやりがいのある、でもちょっぴり責任が大きい、そんなポジションなんだ」と。


週3回、放課後の時間しかない部活の練習時間。
試合までの練習回数は、12回だった。

ひたすら投げ込んだ。

ブラッシング
リリースポイント
体重移動

指導は、
なるべくシンプルに。
ポイントを絞って。
時には、表現を変えて同じ内容を。


そして、ピッチャー2人に『修正力』を持つように、話し続けた。

球が高く浮いたら?
ワンバウンドしたら?
じゃあ次は、どう直すの?

ストライクを入れようとしなくていい。
1つ前の投球を修正した結果、ストライク入ればラッキー!
自分の修正、ナイスじゃん!

そう考えるように、伝えた。


試合中、マウンドにいるピッチャーに、私が駆け寄ってアドバイスをすることは不可能である。

だからこそ、彼女達の頭の中にコーチを育て、いざという時に自力で立て直せるようになってほしかった。



そして、あっという間に月日は経ち、試合前日の練習も終わった。
終わりのミーティングにて、あえて、選手全員の前で、ピッチャーに呼びかけた。

「試合でよく使われる言葉『いつも通りに~。』じゃあ、その『いつも通り』がなんなのか。
 どうピッチングすることなのか。しっかり言語化できるようにして、明日の試合会場に来られるように!」

ピッチャー2人の、緊張と不安混じりの頷きを確認して、解散となった。



家に帰ると、さまざまなことが頭をよぎった。
紅白戦での大敗。
そこからの、ピッチャー陣のがんばり。
キャプテンキャッチャーの頼れる心遣い。
本当に、黙々とピッチングするようになった、、、。

ただ、それでも。
明日の試合のイメージ…。
これだけは、本当に想像がつかなかった。未知すぎて。

そして、自分の『指導力』が測られるような気がして不安だった。

ずっとピッチング指導してきたからこそ、結果が残せなかった時の責任は、
本当に全て自分にあるように思った。


初めて、指導者として『プレッシャー』を感じた。
そして同時に、指導者として『自負と責任』が生まれた瞬間でもあった。

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