死は救いとなるか。自殺は一つの手段である。何の為の。勿論、救われる為である。何から救われるのか。勿論、苦しみからである。生きることは、苦しい。生まれ落ちた瞬間から、世界は地獄に変わる。僅かな喜びの水溜まりに顔を浸し燃え盛る業火から目を背ける者たちを尻目に、顔を上げて目を正面に据えて地獄を歩む者がいる。それは苦しむ者である。苦しみから逃れることが出来ない者、苦しみから逃れることを許せない者である。馬鹿だ、馬鹿だ、わざわざ、苦しんで、馬鹿だ。その通り。だが生来の生真面目さによって苦しみを引き受けることを人格の中心に据えられてしまった人間が、確かにいるのである。自殺は、意志である。誰のものでもない、自分を自分と呼ぶことの出来る精神の証明である。自殺は、勝利である。誰にも何にも自分を殺させなかった、生命の勝利である。自殺は、透明化である。肉体が消えて精神だけが残る。町の空気に、人の記憶に、残る。透明は、見えないだけでそこにある。