見出し画像

「ゲームゼミ」はなぜ、インディーなゲームメディアになったのか

「インディーゲームとはなにか」みたいな議論がずっと続いている。そしてこの議論には唯一の答えがない。「あれはインディーだ」「これはインディーではない」と口々に言うが、どうしてもそこに納得できる理由がない。

とはいえ、このインディーゲームとはなにか、という議論にかんして自分でも思うところが多い。それは自分がインディーゲームを単に愛好するのみならず、今はWSS playgroundというインディーゲームのパブリッシャーと仕事をしている立場であり、なにより自分自身もまたインディであるという自覚があるからだ。

そう、このゲームゼミ、その前のブログ時代から私はずっと「独立したゲームメディア」の形を模索してきた。いうならばインディーゲームメディアだ。私は日本で初めてインディーゲームメディアという形を模索し、気づけば今はラジオ・テレビ出演、雑誌連載、そして数々のインディーゲームを手掛けてきたWSSとともに、インディーゲームの可能性を引き上げるための取材を展開している。

そんな自分だからこそ、インディーゲームメディアとはなにか。そこからインディーゲームとはなにかを考えることも、可能じゃないかと思う。


何故インディーゲームメディアをやるのか

まずインディーゲームとはなにか、という議論に絶対の答えはないとした。とはいえ、一般論としてインディーゲームは「カウンター」としての性質が強かった点は、誰にも否定できないだろう。

具体的には2000年代後半から2010年代前半にかけて、「AAA」と呼ばれる大予算のゲームを手掛ける大手ゲーム企業に対し、そういう規模で作れない・遊べないゲームがあることの創作上の欲求、あるいはそういう企業で何らかの搾取を受けた開発者の不満により、資本的に独立してゲームを作ろうというムーブメントが広まった。

言い換えると、大企業に対する「反動的」な性質を持っていたのがインディーであり、その点で同じように資本的に独立していた黎明期にゲーム企業とは異なるものと言える。

Indie Game: The Movieより


奇しくも、筆者が偶然にもゲームについてなにかを書こうと試みたのも、この2014年とインディーゲーム全盛期だった。もちろん当時筆者が批評として扱っていたゲームの中にも多数のインディーゲームがあり、こうしたインディーゲーム文化に励まされて執筆を始めたというのも事実である。

だが何より、ゲームメディア環境もまた、インディーゲーム文化が誕生するゲーム文化ようなフラストレーションを感じていたというのが、大きいと思う。


そもそも日本におけるゲームメディアは雑誌にまで遡る。1980年代当初、コンピューター雑誌やアーケードゲーム雑誌として始まり、やがて任天堂のファミリーコンピュータの大ヒットを皮切りにコンソールゲームの雑誌が大量に生まれた。中でも大きな成功を収めたのが誰もが知る「ファミ通」であり、ゲームメディア文化が成立した。

ところが2000年代、インターネットによってゲーム雑誌の影響力は落ちていく。

ファミ通のようなゲーム雑誌の強みといえば、メーカーから最速で提供される最新タイトルの「情報」とその「速度」だったわけだが、インターネットではファミ通発売直後にその情報が丸ごと掲載されてしまい、誰でも無償で情報について知ることができてしまう。やがて、企業も雑誌というメディアではなくインターネットを通じて自ら情報を発信するようになり、雑誌の優位が失われていった。

では、ゲームメディアはそのまま衰退してしまったのか?というと、実はそうでもない。雑誌時代に比べると収益は劣ったが、それでもインターネットに最適化することで辛くも生き残ることに成功してきた。

その最初期の事例が、ゲームメディア「4Gamer.net」だ。当時日本であまり注目されていなかったPCゲームや海外ゲームを含め、圧倒的な情報量で支持を得ていた。その後、雑誌で苦戦を強いられたファミ通もウェブ向けに「ファミ通.com」を創設し、雑誌独自の情報やインタビューを交えながら情報を発信する。総じて、ネット上のゲームメディアは情報を多く・早く集め、「ニュース」としてキュレーションするという方向性にかじを切った。

現在、我々が認識するゲームメディアのひな型は、まさにこの2000年代に構築されていった。4Gamerやファミ通の他、GAME Watch、電撃オンライン、イード系メディア、その後少しして電ファミニコゲーマー、AUTOMATON、IGN Japanが展開されていった。更にその間には、2chまとめサイトに便乗する形で勢力を伸ばしたオレ的ゲーム速報@刃、はちま起稿といった「ゲハブログ」、また2010年代後半にはソーシャルゲームブームに乗ってAppBankやGameWithのような「企業系ゲーム攻略サイト」が揃っていた。


こうしたメディアはそれぞれ経営や編集に対する態度が異なるものだが、それでも雑誌時代から大きく変化しているものがあった。それはコンテンツに対して投じられるコストの限界である。

これはゲームメディア、というよりもウェブメディア全般に言えることなのだが、ウェブメディアは基本的に雑誌よりもコンテンツに対するコストが低い。これは雑誌が一冊数百円から販売されるものに対して、ウェブメディアは1記事でも100記事でも原則的に無償で公開されるためである。

厳密には、ウェブメディアの収益には大きく3パターンあり、①企業から直接広告を掲載する広告費を受け取る、②記事に掲載されたアフィリエイトリンクの手数料を受け取る、③Googleアドセンスなどコンテンツ連動型広告の手数料を受け取る、という手段が存在するのだが、率直に言っていずれも雑誌時代に比べると非常に単価が安く、それ単独で経営を続けるのが厳しいというのは既に以下の記事でも指摘した。

そのためゲームメディアはいかに利益をあげるかよりも、費用を抑えるか、コンテンツをより多く量産するかに舵を切らざるを得なかった。いわゆる「レビュー」「コラム」よりはコストを抑えつつPVがとれる「ニュース記事」が中心となり、一部メディアではそのニュースも海外メディアからそのまま転載・翻訳しただけというのも少なくない。

加えて、ソーシャルメディアの発達が、この「安価なコンテンツ」をいっそう強化していった。純粋に知的好奇心ではなく、承認と共感の「ゲーム」ありきのソーシャルメディアは、その影響力の大きさから無視できない。特に後から台頭した「ゲハブログ」は(後の炎上系youtuberを含む)、従来のconsole warsのようなゲームコミュニティのトキシックさを一層強調する形で、憎悪と偏見を強化していくようなコンテンツで儲けようとした。

繰り返すように、これはゲームメディア固有の問題ではなく、ウェブメディア全般における問題だった。古くは「WELQ」のようなキュレーションサイトや今でいう「いかがでしたか系ブログ」のような「ただ情報をまとめただけ」というサイトは最たるものだし、信憑性の非常に怪しい芸能ゴシップをまとめたサイトや、ろくに原稿料を出さないYahooニュースの問題などは、しばしば指摘されている。

(そして同じゲームメディアの中でも、限られた予算の中で批評やインタビューをちゃんとやろうという姿勢を持ったメディアもいたし、実際に筆者はそういうメディアから適切な原稿料を受け取って仕事もしている。)

これは奇しくも、当時のゲーム企業に通ずる部分があったように思う。デジタル化とプラットフォームへの依存が、企業をより合理的なコンテンツ制作に動員させていく。コストを減らし、確実に読まれる記事を書く中で、企業としての利益は確保できたがメディアごとの個性は失われていった。

筆者が自分でメディアを始めたのは、まさにこの頃だった。


なぜ、インディーゲームメディアを作ろうと思うのか

インディーゲームとは何か。この疑問に絶対の答えはないが、少なくとも当事者には何かしらの答えがある。

多くは、「自分が作りたいゲームを作りたいから」という。自分だけのゲームを作りたい。誰かの干渉を受け入れたくない。面白いと思うゲームをただ作っていたい。

だからインディペンデントであらねばならない。安定したシリーズ続編に拘泥する大手ディベロッパーや、収益面のためにルートボックスやマルチプレイを強要する大手パブリッシャー、あるいはゲームのことなど何も知らない投資家の干渉を退け、命を削ってでもインディペンデントのままゲームを作る。

これは私の思い込みではない。私が関係したインディークリエイターは、全員でないにしろ皆近しい考えを抱いていた。私が今一緒に仕事をしているWSS playgroundというインディーパブリッシャーも、そこで提携している数々のインディークリエイターたちも、幸いなことにゲームゼミを購読してくれているインディゲーム開発者も、そして今Indie Intelligence Networkで取材した数々の海外クリエイターも、皆ただ「自分が作りたいゲームを作りたいから」という。


実のところ、自分もそうなのだ。

自分がなぜインディでゲームメディアをやることにしたのか。それは自分が真に面白いと思うものを、ただ書いていたかったから。特に、自分自身が長らく愛読していた「批評」というものを、同じく自分が愛する「ゲーム」の文化でやったらどうなるのか。作品の広報ではなく作者に直接向き合うインタビューや、やけどを恐れて触れなかったゲーム文化の問題への批判も。それを書きたかったし、読みたかった。

しかし、これを掲載できる場所は既存のメディアにはなかった。それは繰り返すように、プラットフォームやソーシャルメディアに依存せざるを得ないデジタル時代のゲームメディアの限界もある。そのうえ、編集部は日々忙殺されており1つの記事にコストをかけられない。

その結果、インディーになった。自分が本当に面白いと思うものを、誰にも邪魔されずただ書ける場所を作るため。私はゲームゼミを立ち上げ、日本で初めてゲームメディアに完全なサブスクリプションモデルを導入し、自分が編集権限を全て握った。

そこにアルゴリズムを強要するプラットフォーマーも、トキシックで流されやすいソーシャルメディアも、広告ビジネスの本質すらわからないのに数字を強要するメディアの経営者もいない。もっと効率的に儲かるやり方はあるし、そもそも今の時代に作家をやること自体が無謀なのも否定しない。

だが私は、インディーゲームメディアである「ゲームゼミ」を作り、今もこうして書いている。別にインディーになろうとしたわけでなく、インディーになるしかなかったという以外ない。インディーは手段であって目的ではないのだ。

幸いなことに、ゲームゼミの試みは年々認めていただき、奇しくも今は同じくインディーの志を持つWSS playgroundとメディアを作っている。それでも、私は現状に何一つとして満足していない。今後もぜひ楽しみにしていてほしい。


追記:「ゲームを通じた友情こそが、「インディーゲーム」である

私が現在、インディーゲームパブリッシャーのWSS playgroundとメディアをやっていることは何度か話している。

その代表である斉藤氏は、件の「インディーゲームとは何ぞや」という不毛極まる議論に対して、以下のような定義でもって反論していた。

先に断っておくと、私と斉藤氏の間には意見の一致があることも、一致しないこともある。そのうえで、私は彼が見出したこの定義は、少なくとも騒動に乗じて好き勝手に「インディーゲーム」を語る人々よりも、よほど同意できた。それは何故か。

ここから先は

2,141字

■ゲームゼミとは? 誰もが子どもから親しんできたゲームを文化・芸術と等しく学ぶ中で、一層ゲームを楽し…

メセナプラン

¥1,980 / 月
人数制限あり

「スキ」を押すと私の推しゲームがランダムで出ます。シェアやマガジン購読も日々ありがとうございます。おかげでゲームを遊んで蒙古タンメンが食べられます。