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ゲームブロガーがゲームの本を書かなかった理由 『好きなものを「推す」だけ。』書評

5月1日、KADOKAWAから拙書『好きなものを「推す」だけ。』を上梓しました。

(ゲーマー日日新聞にも同様の記事を掲載しております。)


https://www.amazon.co.jp/dp/B0875V3958/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_XdRQEbDZGDHGW


自分で言うのもなんですが、この本はかなりいい本です。それは私が類稀な文才があるから……と言いたい所ですが、私は6年間ブログでゲームの批評を続けた人間であっても、キャリアはまだ浅い。

ただこの本、間違いなく今この瞬間に必要な本を提供できた確信があるのです。

あえてゲームブロガーと評される私が、ゲームを捨てて「推し」にこだわっただけの理由があるのです。

一人のゲームブロガーに過ぎなかった私がどうやって書籍化まで漕ぎ着け、また何を本に書こうと思ったのか?この本に記載した「今」必要とされている情報とは何か?普段このゲーム面白いよ~と推しまくる私ですが、せっかくなので今回は自分の本を自薦させてください。


私がKADOKAWAさんから本件の案内を頂いたのは、昨年、少し早めに冷え込んだ秋の終わり頃。

突然「本を書きませんか」というメールに詐欺か何かだろうかと恐る恐る文面を読んだところ、しかも出版社はあのKADOKAWAと言うではないか。どうも、私が利用しているはてなブログとの共同サービスで、ブロガーを出版社に紹介して作家デビューさせるというものらしい。

それにしても何故私にと思ったが、ありがたいことに「ちゃんと書ける人だと思えた」とのこと。もちろん嬉しいチャンスだったので、その場でOKします。


ここでまず最初の課題が降ってきます。


「ってか、何の本を書こう?」


まぁまぁアホみたいな課題ですが、ブロガー初の作家にはそこそこ大事な問題です。

例えば小説家なら、なろうとかカクヨムに投稿してる文章の続きを出版しましょうとなるし、漫画家ならTwitterやPixivの漫画を本にしよう、となる。しかし私たちブロガーはあくまで、ブログという場所に最適化した文章を書くので、そのまま本にするのはちと分が悪い。中には新作と名ばかりに8割ぐらいはブログをリライトしただけの文章を本にする方もいるそうですが、私程のブロガーがそれをするには不遜すぎる。

私のブログ「ゲーマー日日新聞」はその名の通り、主にゲームの批評を投稿するブログでした。だったら新規にゲーム批評を書き下ろして本にするのが常道だろうということで、担当の編集者さんと企画を進めます。

しかし、何気なく訪れた青山ブックセンターの本棚を眺めていて、ふとそれでもいいのかという疑問が上がりました。もちろんゲームの本に挑戦したい気持ちはあります。ですが、今、自分がこの本棚に並べられて手に取りたい本は何か、そう考えた時にもっと他にあるのではないかと思ったのです。

普段はこういう記事書いてるよ!


そうして考えた時、私がブログを始めた理由を思い出しました。

そうだ、私はゲーム批評がしたいのと同じだけ、もっとゲーム批評が読みたいから自分で書き始めたのだと。

好きなゲームに関する、みずみずしい情熱、入り組んだ論理、読む人間が引くぐらいの勢い、そういう魂のこもったゲームを論じるテキストが「読みたかった」のです。読みたいけど、あまりないから、やむを得ず自分で書き始めた。

そうだ、なら次書く本は自分が書くんじゃなくて、書いてもらう本にしよう。魚じゃなくて、釣り竿を売ろう。金ではなく、ジーンズとピッケルを売ろう。そうすれば、ゲームに興味のない人にまで読んでもらえる本が作れるし、何より僕が好きな「オタクが唾飛ばしながら早口で喋ってそうな文章」がたくさん読めるようになるではないか。そんな本が本屋に平積みされている様子を想像すると、すごくその情景が自然に思えてきました。


もう一つ、この本を書いた理由は純粋にインターネットを取り巻く環境の変化にもありました。

特に昨今、コロナウィルスというとてもネガティブな事象を目の当たりにして、ヘイト、デマそういったメッセージを見る機会がよくあります。ナードの砂場だったネットは、気づけば現実と相違ない混沌になっている。そうしたインターネットを取り巻くざっくりとした不安、不信、失望、そういったものを吹き飛ばして、純粋にポジティブなコミュニケーションを生み出せるかもしれない。ついでに、ブログは情報商材を売りつける露天でなく、純粋なコミュニケーションの場所であることも再アピールできるかもしれない。

こうしてゲームを論じ続けてきた私は、ゲームではなくゲームの論じ方を論じることを決めたのです。


この本で何を得られるのか

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この本を読むと

「第三者になるべく共感されやすい形で、自分の好きなものを推す言語能力」

が得られます。

自分で言うのもなんですが、いい本です。たぶん。少なくとも2020年の春に出す本として、多分ここまでピンポイントに本棚に置いて損しない本はないと思う。


まず前提として、ここ数年で急激に「推し」を含めた自分の声を世間に届けられる環境が整っています。

youtubeやブログ、noteといったサービスは無論、何よりSNS。発信するコストはほとんど0で、準備も全く不要。どんな一般人でも世間に訴えかけるメッセージを投げかけられる時代になりつつあります。時として、それが政治を変えることすらある。

けどそうやって循環する声はどうしても強気で、もっと言うと多少の悪意や怒りを込めたものの方が大きくなりやすい。最近ベストセラーになった『FACTFULNESS』にも「ネガティブ本能」として挙げられていましたが、広い参加ができるSNSは特にこのバイアスが強調されます。加えて今年から流行の始まった新型コロナウィルスの打撃と相まって、余計にしんどい話題が中心になってくる。

せっかく声を発信できる環境があるのだから、もっと自分の好きなことについての意見を言いたいし、聞きたい。私に限らずそう考える人は今確実に増えていると思います。私はそうしたポジティブな文脈を「推し」と解釈し、読んだ人に好きなものをなるべくわかりやすく、共感されやすい形で推せるようになる本を書きました。


その『好きなものを「推す」だけ。』ですが、序章ではまず「推し」とは何ぞやという定義を論じていきます。

推しは刹那的なネットミームだけど、皆誰もがやってきたコミュニケーションだよねって所から始まり、任天堂を中心とした「推し」をマーケティングに取り入れた事例を3つ紹介して、今や推しがミレニアム世代を中心とした文脈になりつつある、といったお話です。

SNSって何?というレベルの人に対する導入部なので、一見して既に推しをバリバリ実践してるオタクには退屈するかもしれませんが、実はそういったインターネットに浸かりきったデジタルネイティブにこそ刺さる文を半分以上入れてます。

というかこの時点で、所謂「フォロワーの増やし方本」のような短絡的SNSノウハウ本が見落とす、根本的な「結果の出し方」について言及してます。その辺の手垢のついたノウハウにも見飽きたツイ廃もスリリングなアンチテーゼを楽しんでいってください。


第二章、第三章はいよいよお待ちかね、本格的に「推す」ことに特化した文章術に入っていきます。まぁ文章術と銘打ってますが、大部分が動画やラジオでも変わらない普遍的な仕掛けに繋がっていく知見だと思うので、そちらが専門分野ですよって人にも有用なはず。

例えば、

「推しを通じた自己体験を交えて推すにはこんな表現がいいよ~」とか、

「五感は客観的に共感しやすい表現だから推しを説明する時には五感に訴えかけやすい表現のこんなのを使えばいいよ~」とか、

「厄介なオタクに推すなら、作品が作られた時代と環境のマトリクスを用意して、帰納的に文脈を用意すると引き込まれやすいよ~」みたいな、

用途、状況、用途に応じた推しパターンを20種類以上用意。とりあえず今日から推しの話がしてぇ~~~って人には既にここだけで元取ってもらえる密度だと思います。


最後に、根本的な推しの社会的意義についての試論を展開。オタク(コンテンツの信奉者)ってもう世間的にはマジョリティであって、特にインターネットで社会が一気に接近した今となって、いよいよその存在感が強くなってきている。

今後(潜在的な人を含め)オタクがどんな存在になるのか、何ができるようになるのか、それらを考える上で、自己完結したエンスージアストから社会と繋がるエバンジェリストになっていくよねといった内容です。

この辺りは自分のブロガーとしてのキャリアを踏みつつ、上の年代には論じられなかったデジタルネイティブ世代の急速に変化する価値観を論じて、最終的には「やっぱ好きなものを論じるって大切だし、最高やん」という主張に繋がってます。比較的、ここはエンタメとして肩を抜きつつ楽しめるように書きました。

ここは特に、インターネットと共に社会の日陰者から、急速に主流へと駆け上がったことで戸惑う僕らと同じ価値観の人間が抱くだろう、「結局、俺らは何者なんだろう」という問いに対する回答になってると思う。ある意味で、ここだけは絶対ブロガーであるジニでしか書けない、内容、文法共に「ブログ上がり」のテキストになったと思います。


と、こんな具合に詰め込みたいものは一切合切詰め込んだ気合の入ったボルシチのような本に仕上がりました。この濃度、6年以上のブロガーとしての経験で蓄積した知見をほとんど放出しなかったからこそ実現できたのかなと思います。樽の中で熟成6年ですからね。


好きで仕方ないからこそ本を出せた

ところで、これを読んでいる方の中にも「自分もブログやSNSで文章を書く経験は積んだし、フォロワーだっている。自分も本を出したい!」という人がいるかもしれません。素人が1から本を出す上で何をすればいいのでしょうか?

ここからは個人的な話になってしまいますが、正直私は純粋な執筆経験でいえばまだまだ未熟。同じはてなブログから書籍化されたフミコフミオさんと比べても、まだ文章に粗が残ることは自覚しています。

そんな素人のわたしが何故本を出せたのか?前提として、株式会社はてなやKADOKAWAの方々の手厚い支援があるわけですが、根本的に「本」に求められてるものって何なのでしょうか?

それは正に『好きなものを「推す」だけ。』の核心なんですが、好きなものを推すことに関しては絶対の自信があったからですね。文章が書くのが勿論好きなんだけど、何よりも好きなことを推したり、論じたり、時に批判も交えた文章を書くのが好きで仕方なかった。それが「ジニ」というブランドとなって、今回書籍化に繋がったのだと思います。


このインターネットで誰でも文章を書いて、公開できる時代において、程度にもよりますが「ただ日本語で文章を書ける」という能力ははっきり言ってコモディティです。ティッシュや石鹸など消耗品のように、誰でも持っているものに過ぎません。そして今後はより一層その価値は下がるでしょう。中学生でも何十万人とフォロワーを集めるインフルエンサーだっています。

だからこそ、今文章を書くなら「好きなこと」でも「知っていること」でも何でもいいから、とにかくそれしか考えられないってぐらいの推しについて論じるのは一つの道になると思います。

冒頭で説明したように、今特にネガティブに沈みがちな潮流だからこそ、このコロナ禍が過ぎ去った日にはバックラッシュ的に明るい話題を渇望するようになるでしょう。ついでに、その時にこの本を役立ててもらえれば幸いです。

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