物語のあるプレーが、誰かの生活必需品になるまで
前回「あなたのスポーツは ジャンケンと何が違うのか?」という記事を書きました。
過程が長く濃いスポーツは影響が大きく、過程が少ないジャンケンは影響が小さくなる。
過程と影響は比例するという話です。
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この観点で、スポーツを掘り下げます。
昨今、スポーツビジネスの定義は二つあるとされます。自分なりには、①競技を商材にするか ②物語を商材にするか ということだと思っています。
今日の結論は「影響を最大化するために、②で考えよう」です。
① 競技を商材にする
プレー・戦術・試合内容・勝敗など、競技そのものを売ります。
この場合、過程は競技時間と等しくなってしまいます。影響にも色々ありますが、今回は収益を例にします。
この短い競技時間(=過程) を マネタイズしても、収益(=影響)には限界があります。
スポーツ界で度々浮上する収益性の課題にはこのような構造があり、それはスポーツの価値=競技という視点が原因です。
② 物語を商材にする
スポーツの周りにある、すべての物語を売ります。マーケティングでは頻出の「物を売るな、物語を売れ」です。
マネタイズすべきは、競技時間を含めた 長く濃い物語(=過程)です。そうすることで、収益だけでなく 多様で大きな影響を発揮することが可能になります。
図では 上に行けば行くほど 過程と影響が増え、これを「より文化である」という言い方をしたいと思います。
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『スラムダンク勝利学』などの著書で知られる 辻秀一先生のオフィスに伺ったときに、文化という切り口を教わりました。
『PLAY LIFE PLAY SPORTS スポーツが教えてくれる人生という試合の歩み方』
ここでは「より文化である」スポーツとして、駅伝を挙げています。
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駅伝からは物語が見える
出身校や贔屓にしている大学はなくても、多くの人が箱根駅伝を何となく好きで観ます。競技の奥深さを必ずしも知っているわけではないのにです。
巨額のスポンサー料が発生し、スポーツメーカーのブランド戦略の場になります。大学名をアナウンサーに連呼されることが、翌年の受験者増に繋がるとも言われます。
駅伝は なぜ多くの人を惹きつけ、大きな影響を与えられるのか(もちろんメディアの力もあります)。
仮に、駅伝が「競技を売る(①)」とすれば、買う(観る)人をかなり玄人に限定したスポーツになると思います。競技がシンプルであればあるほど、そこに面白味を見つけるのが難しくなるからです。
しかし前述の通り、競技の奥深さを知らずとも 人は駅伝を買い(観)たくなる。これが「物語を売る(②)」ということの力です。
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駅伝の物語には、襷(たすき)というシンボルがあります。
駅伝といえば、日本固有のスポーツになっているのはただ走って時間を競うだけでなく、“襷”を繋ぐというルールがあることです。個人のスポーツでありながら、チームスポーツです。(中略)個人の役割がはっきりしているけれども、みんなで力を合わせながら競い合う仲間を思う気持ちを原動力に一生懸命にやり続けるスポーツです。1
脈々と続いてきた長い歴史の中で、大学の名を 文字通り背負って走る。
その大会に限って言っても、襷は 往路から繋がってきたチームの想いそのものです。ひとつ前の区間を死ぬようにして辿り着いた仲間から受け取る襷です。
優勝できなくても次のシード権のために走る。それに手が届きそうになくても 立ち止まらずに走る。自分しかその襷を前に進めることができないからです。
こうした背景が容易に想像できる駅伝は、物語性が高いと言えます。
そしてランナーだけでなく スタッフ、選ばれなかったチームメート、沿道での応援、大会を運営する人たちが はっきりと感じられるのも、駅伝の特性だと指摘しています。
スポーツは体育のように“する”だけではなく、あらゆる人たちで構成されているのだということを駅伝は私たちに思い起こさせてくれるのです。2
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人から人へ想いを伝え、その延長線上に自分がいる。仲間のために、それは エネルギーでもあり責任でもあり、苦しくても諦めずに前に進む。華やかな結果が今はそこになくても。
それぞれには置かれた立場があり、様々な感情を抱えながら自分にできる貢献をして 一つのゴールを目指す。
駅伝が見せてくれる物語は 人生の縮図です。誰の人生においても同じことです。
スーパープレイヤーのスーパプレイよりも、自分と同じ人間が 自分と同じ課題に挑戦する姿を観たいと思う。
だからこそスポーツはそこにある。人々はそれを必要とする。
過程が物語であるときに生じる共感を、スポーツは配っているのです。
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もうすぐ終わります。
アメリカではNBAやNFLだけでなく、大学スポーツにも巨額のお金が動く事実を挙げ
なぜそのようなことが起きるのかといえば、長い歴史の中でスポーツが文化だとすべての人の意識の確立してきているからなのです。つまりは人間として生きていく上で必要な文化だからこそ、そこにマネタイズが生じる 3
「応援されるか」というより「生きていく上で必要な文化になれるか」
すでに駅伝は、日本人にとってなくてはならない文化になりつつあります。
すべてのスポーツの物語には、そうなるに相応しい能力があります。生活に根付き、必要不可欠な文化として人々に価値を与え続けることができるはずです。
そうなれば 冒頭に影響の一例とした収益という問題も、自然に解決されていくということです。
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物語を売るための2つのステップ
1 )価値を言語化する
競技そのものだけでなく、スポーツには素晴らしい物語と価値があるというのは言い続けてきた通りです。それを科学する必要があります。
仮説を立て、データを集め、実践し、言語化する。物語が持つ価値に再現性を持たせる。
2 )伝え方を工夫する
次に重要なのは、掘り出された価値を発信することです。
スポーツの数だけ価値があるように、伝え方にもそれぞれの最適解があるはずです。メディアを使うのも、戦略的にマーケットを絞ってブランディングするのもアリ、ひたすら勝負にこだわる姿を見せるのもアリです。
右軸の「現状→理想」には、適した対象を置いてもらえばいいと思います。自分は 大学サッカーの現状を、高校サッカーを理想として比較し 考えてきました。
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もう一つの重要な問いは、そもそも 自分のスポーツは誰にとって必要な存在でありたいのか、ということです。そういうことに一度 向き合ってみるべきです。
今の現状が自分のスポーツのすべてなどと思わないことです。こうありたいという理想を設定し、そこに向かって思考を止めないことです。
Twitter @izz_izm
*1,*2,*3, 辻秀一(2017年)『PLAY LIFE PLAY SPORTS スポーツが教えてくれる人生という試合の歩み方』内外出版社, p133,p134,p56.
以下は 参考にした記事です。
PRESIDENT Online(2017年6月10日)『楽天が巨額契約した"胸スポンサー"の価値』http://president.jp/articles/-/22274
Business Journal(2013年12月6日)『“一大ビジネス”箱根駅伝、人気の秘訣と経済効果〜巨額スポンサー料、大学の宣伝効果・・・』http://biz-journal.jp/2013/12/post_3544.html
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。