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つや

祖母が骨になった。
骨壺、遺影、位牌をそれぞれ胸に抱え、三きょうだいが歩いて行く。伯父と母は三つ違い、母と叔父とは四つ違い。そのそれぞれの間に一人ずつ、生むことを許されなかった子供がいるらしい。「間引かれなかった子供達」。不意にそんな言葉が頭に浮かぶ。間引かれた命とそうでなかった命の間に、当然ながら差などなく、ただタイミングが運命を分けただけだ。
祖父は典型的な亭主関白、よくいる昭和の親父で、生涯祖母に靴下を履かせてもらい、自身ではお茶の一つも淹れることなく、六年前に九十歳の天寿を全うした。そしてつい数日前、祖母も亡くなり、今日は家族葬の日である。私にとっては、ただひたすらに優しい祖父だったが、妻と子供達にとってはどうだったろう。母はよく「女に学は必要ないと言われていたのよ」と恨み言を口にしていた。

焼場から精進落としの斎場までは、マイクロバスに乗って移動する。前の方の席では、祖父の弟嫁だという女性が、母達にしきりに話しかけていた。
「上の二人は多喜さん似だけど、武美ちゃんは本当に武二郎さんそっくりね」
伯父が答える。
「歳を取ったら、ますます似てきちゃって。煙草を吸っている姿なんて、まさに親父そのものですよ」
そうだろうか。確かに、くっきりとした二重瞼は、祖父と叔父共通のものだ。しかし、祖父の目は出目金のようにギョロッとしているのに対し、叔父の目は奥目と言うのか、欧米人のようにやや引っ込んでいる。背格好も似ているが、体型ならば伯父も痩せ型で大差ない。それに、叔父の声は少し変わっているのだ。
私が小学校に上がる頃、所ジョージがよくテレビ番組に出ていた。今でも活躍している芸能人だが、当時はイラストが付いたグッズが原宿で売られるほど人気で、見ない日はないほどだった。しかも、当時はユーチューブもケーブルテレビもない。子供達はみんな民放テレビを見ていた時代だ。
ある日、『世界まる見え』を見ていた私は気付いた。
「所さんの声、叔父さんにそっくりだ」
対する祖父の声は、低くてよく通り、北大路欣也のようだった。

祖父は高校で古文漢文を教えていたが、同僚との不倫が原因で、退職を余儀なくされたらしい。退職後はしばらく祖母がウエイトレスとして働きに出たり、玩具に色を塗る内職をしたりして支えたそうだ。塗料の臭いは換気しても家に充満し、そのせいで、母は今でもマニキュアが嫌いだ。当時の記憶がよみがえると言う。
その後、祖父は予備校講師になると、名物講師として少しだけ有名になった。一気に羽振りが良くなったので、母達一家は念願のマイホームを埼玉県の蕨に手に入れ、伯父が二浪させてもらえるほど、生活には余裕ができたようだ。すると祖父はまた女遊びを始めたが、祖母は「素人さんじゃないから」と涼しい顔をしていた。当時は景気もよく、予備校は名物講師を抱え込むことに躍起になっていたため、接待費もかなりのものだったのだろう。祖父はしょっちゅうクラブやスナックに入り浸っていた。そこで知り合ったホステスの中には、深い仲になった女性も何人かいたそうだ。
全ては、祖父が亡くなった後で聞いた話だ。私の記憶があるのは、祖父母が六十代以降。祖父は予備校からも引退していたし、母や伯父達も、私達のような子供に、あえて祖父の醜聞を耳に入れるようなこともなかった。
祖父は八十を過ぎて痴呆が始まり、三つ年下の祖母も、身体は元気だが頭が怪しくなってきた。そこで、すでにそれぞれ実家を出て家庭を持っていた母達三人きょうだいが話し合い、蕨の自宅を売ったお金で、二人は揃って介護付有料老人ホームに住むこととなったのだった。

「しかし、親父はひどい奴だったよな。俺、覚えてるよ。高校教師してた時、夜な夜なお袋と言い争いしてたの」
伯父の声が、隣の卓からも聞こえてくる。私は、女ばかり三人のいとこと会話しながら、聞き耳を立てていた。隣卓は母達三きょうだいと、祖父の弟嫁(私との関係は何だろう?以後、老婆と呼ぶ)だ。
四人は、会話自体に飢えているかのように話し続けていた。老婆は耳が遠く、母達には酒が入り、声は次第に大きくなっていく。
「高校を辞めさせられたのに、全然懲りなかったよな」
「でも、たけちゃん達が巣立った後も、結局添い遂げたんだもんねえ」
「AB型同士の夫婦だから、へそ曲がりだったんでしょう」伯父はA型、母はAB、叔父はB。母は血液型占いが大好きだから、すぐにそうやって分類したがる。武樹伯父さんはAだから馬鹿真面目で、武美はBだから自由人なのよ、なんて。

その時、突然、あの日の祖母が蘇ってきた。亡くなる一ヶ月ほど前に、母と二人で祖母を訪れた日のこと。

私は、向かいに座る従妹に話しかけた。
「佑香ちゃんと佳奈ちゃんって、本当に、双子みたいだよね。血液型も一緒なの?」
年子で、体型も顔もそっくりな二人は答えた。
「よく聞かれるんだけど、それが、私はBで」
「私はO型」
その瞬間、全てが音を立てて、かちりとはまった気がした。目元、名前、そして声。

あの日、帰る前にお手洗いに、と母が席を立って部屋から出て行った瞬間、不意に祖母の焦点が合った。
「最後まで、誰も何も気付かなくてね」
ひたと私の目を見据えて突然脈絡のないことを言うものだから、なんだか私は恐ろしくなってしまった。ここに移って来てから祖母の痴呆はさらに進み、ここ数年は、私の名前も出てこないようなこともざらだった。
「おばあちゃん、何言ってるの?」
私が問うと、祖母は濁った目で私の瞳をしっかりととらえながら、なおも言った。
「…」
そして、ふと口元をゆるめた。笑ったように見えて、私も意味なく笑った。ははは、という乾いた声が、二人きりの部屋に響いた。まるでタイミングをはかっていたかのように、手をハンドタオルで拭きながら、母が戻って来た。

武という男性的な字と、美しいという字の取り合わせには、ずっと軽微な違和感を覚えていた。父親の武二郎から一文字取って、長男が武樹。母親の多喜から一文字取って、長女が喜美子。法則から言ったら、次男である叔父は武志でも武雄でもいいのに、なんで武美なのだろう。母に聞いたこともある。長男と長女から一文字ずつもらうなんて、なんか変じゃない?
大した意味などないのだろう、四人目まで産む気はなかったのだろう、面倒くさそうに母は答えたが、今、腑に落ちた。祖母は、自分でも気付いていないような深層の罪悪感からか、三きょうだいであることを過度にアピールするかのような名前を、叔父に付けたのだ。

「多喜さんは堅かったから、武二郎さんが遊んでしまうのも、ちょっと仕方がなかったのよねえ」
老婆は勝手なことを言っている。退屈だろうとなんだろうと、浮気を正当化する理由にはならないだろう。

祖母はあの時、はっきりこう言った。
「あの子は、あの人の子なのにねぇ」

いわゆるABO式の血液型は、両親から一つずつ因子をもらうイメージで、A型といってもAAとAOがあり、B型にもBBとBOが存在する。AとBが優性遺伝子で、Oが劣性遺伝子であるため、BBもBOもB型になるわけで、しかしその別は血液検査でもわからないと聞いた。
祖父も祖母もAB型で、叔父はB型だから、それだけならおかしくない。しかし両方からBをもらったなら、叔父はBBのはずなのに、孫はO型。つまり叔父はBOということになる。

所ジョージみたいな声の叔父が、
「俺、煙草」
と言って部屋から出て行った。

誰も気付いてないよ、おばあちゃん。おそらく、武美叔父さん本人でさえも。仕出し弁当の隅っこの、小さな大福みたいな物を箸でつつきながら、私は、なんだか笑えて仕方なかった。

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