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なにかを加えるために -noteの書き方-

僕はnoteで出雲神話を解き明かす試みをしようと思い、記事を書いている。初めはもともとあった原稿を章ごとに分けて掲載するだけだった。それが「青銅器の使い方 ー出雲神話から青銅器を考えるー」だった。

しかし、その原稿は尽きてしまい、次の「青銅器の使い方 その2(仮)」を発表するまで時間がかかるので、しばらくはお休みだなと思っていた。

ところがこのnoteは毎日書くことを推奨してくる。それも書くたびにしつこく(あ、失礼!)推奨してくる。そこで出雲神話を何か別の角度から書くことはできないだろうかと考えた。

神話は歴史から抽出された深みのある物語だと僕は認識している。時代は変わっても、人間が本当に深いところで悩んだり迷ったりする部分は変わらないとおもう。

だから、僕らの日常生活もこの神話の延長線上で語ることができるのではないかと思ったのが「いつも神様でいっぱい♪」というエッセイを書くことになったきっかけだ。

基本的な構造は落語を参考にし(とはいうものの落語は全然知りませんが)、「まくら」、「本題」、「おち(のようなもの)」で構成されている。「まくら」で日常生活の一こまを語り、「本題」で出雲神話を語る。

こうして、エッセイをこつこつ書いてきた。約1ヶ月経ち、僕もだんだんnoteのことが分かってきた。noteのトップページには、フォローしたみなさんの記事が載るようになってきた。その隙間を縫うようにnoteから僕へのおすすめ記事が提示される。その中でも、noteの書き方について面白いエッセイが掲載されているので、楽しく読ませていただいている。

みなさん、いろいろな書き方をしているのだなぁと思った。そして、毎日、記事を書くのに大変な思いをしているのだなぁと感心した。そこで僕がどういう過程を経て記事を書いているか(それを知りたいという人が何人いるかわからないけれど)順を追って説明したい。

まず、朝起きて、仕事を始めるまでに、「まくら」か「本題」のどちらかを考える(大体において、どちらかが先にくる)。次に「まくら」となる日常のあれこれが、「本題」の神話にどうつながるかを考える。ここまででいったん終了。

次に、仕事の合間の休憩時間に、「まくら」と「本題」がスムーズにいくかを頭の中で少しずつ形作っていく。ここで「おち(のようなもの)」を考える。このときはメモをとらない。あくまで頭の中で進める。

仕事が終わり、家に帰ると、コーヒーを淹れ、パソコンを開いて、頭の中でまとめた記事を文章に起こしてみる。そして、8時までにはだいたい記事が完成する(というか、8時頃に妻と買い物に出かけないといけないので)。ほんとうは何度も推敲して文章の書き換えを行いたいのだけど、残念ながら時間がない。

しかし、いつもそれでうまくいくとは限らない。昨日の記事(イチョウの木の話)なんて、小学校にあるイチョウの木の話とスサノオの話をくっつけて「おち」も考えていたのだけど、途中からイチョウが絶滅危惧種であることがわかり、「おち」の方向性もそっちのほうに引っ張られて完成したものが別ものになってしまった。

まぁ、こういうときのほうが、逆に話が面白くなって妙に普遍的なものを語ってしまうこともある(本当にそうなっているかは別の話)。


こんな風にあれこれ考えて、エッセイをなんとかひねり出している。まだまだ、いいエッセイは書けないけれど、みなさんの人生に何かちょっとでも加えていただけたらとおもいながら今日も書いている。



というわけで、今回は本題のほうから始めてみる。

「佐香神社(別名は松尾神社)」について書いてみようと思う。佐香神社は酒造りの神様を祀ったもので、日本で初めて酒を造ったといわれている。

出雲国風土記楯縫郡佐香郷に、川の中州で180柱もの神が集まって御厨を建てて酒を造り、180日もの間宴会をしたあと解散したという説話が記載されている。

今でも佐香神社は全国の酒造業者から信仰を集めている。

例大祭は、濁酒祭(どぶろくまつり)とも呼ばれ、室町時代から続いている。

10月1日の未明に宮司自ら杜氏となって神酒の醸造を行い、祭礼の前日に国税庁の係員の検査を受ける。当日には酒造業者たちが集まり、安全を祈願する奉納祭が執り行われる。ちなみに当社では財務省より、祭礼のために毎年1石以下までのどぶろく醸造の許可を得ている。



僕の祖父は、僕が子供の頃からお酒が好きだった。後で知ったことだが、祖父は戦後から飲むようになったのだという。それまでは酒は一滴も飲まなかったのだそうだ。

やっぱりあの戦争は祖父も相当に堪えたのだろう(当たり前の話だ)。忘れたくなるような体験も沢山あったに違いない。そういうやるせないおもいを、あの時代の人々は、それぞれがそれぞれのかたちで心にもっていたのだろう。

村上春樹さんの小説「女のいない男たち」の中で、「世の中には大きく分けて二種類の酒飲みがいる。ひとつは自分に何かをつけ加えるために酒を飲まなくてはならない人々であり、もうひとつは自分から何かを取り去るために酒を飲まなくてはならない人々だ。」という文章が出てくる。

きっと、祖父は何かを取り去るために酒を飲んでいたのだろうと思う。

僕も忘れるために酒を飲むことが多いのだけど、今日だけは何かを加えるために酒を飲むとしよう。

佐香の神と祖父との思い出のために。



今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 
 
よかったら、佐香神社にもいらしてください。

よいお酒を用意してお待ちしています。



こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。

 よかったらご覧ください ↓ ↓ 


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