ペットの神様
うちには2匹の犬がいる。
先代の犬が亡くなってから、番犬代わりに保健所から譲り受けた犬たち。1匹はビーグル(オス)、もう1匹は雑種(メス)。ともに両親が引き取りに行った。なぜ、2匹になったのかというと、本当はビーグル1匹ほしかったそうだが、1匹だとビーグルが寂しくて夜泣きしますので、もう一匹もらってくださいと言われたそう。なんだかうまい商売のようだけど、本当の話。一度は引き取り手にもらわれていったビーグルだったけど、あまりにうるさくなくらしく、なんども出戻りを繰り返していたのだそう。
よって、その日から2匹はうちにやってきた。やってきたときは子供だったので小さかったけど、予想に反して成長するにつれビーグルのほうは大きくなった。ビーグルって小さいイメージだけれど、大きくなる種類もあることを後に知ることとなる。
2匹とも、ちゃんとした名前を両親が付けたのだけど、僕はわかりやすいので犬たちを色で呼んでいる。ビーグルはクロ、雑種はチャ。うちは田舎の一軒家なので、母屋と離れ(納屋)を塀で囲って、そこを犬たちが自由に行き来できるようになっている。
基本的に毎日の犬たちの散歩は僕が担当している。先代の犬は1匹だったのでそうではなかったが、2匹を連れて歩くとすごく疲れる。特にクロはリードの引っ張りが尋常じゃないほど強いので苦労する。近所は野良猫が多いので、野良猫を見つけると犬たちは血相を変えて追いかける。そして僕は引っ張られて、引きずられて・・・こんなに犬の散歩が大変だとは思わなかった。
僕は他人を特にうらやましいと思うことはあまりないほうだけれど、一つだけうらやましいと思うのは、自転車に乗って犬を連れて散歩できる人。これだけは本当にうらやましいと思う。もし願いが叶うなら、僕は自転車に乗ってクロとチャを連れて歩いてみたい。
車で街に出かけると、犬を連れた人々に出くわす。犬たちはおとなしく、飼い主と一緒に散歩している。なぜ、うちの犬たちはあのようにおとなしく散歩することができないのだろう。2匹そろうと走り出す犬の習性でもあるのだろうか。
犬は群れで生活するので、人にも順列を付けているとよく聞く。そうすると、僕はクロとチャにとって、ずいぶん低い地位なのかもしれない。
首輪にリードを付ける時に、騒いでいる犬たちの声が心なしか「はやくしろ、はやくしろ」とせかされているように聞こえる。一時期、バウリンガルという犬翻訳機が流行ったことがあったが、絶対あれはつけたくないな。
さて、出雲神話に目を向けると、ひょっとして初めてペットを飼った神様は大国主命ではないかと思う。「出雲国風土記」の宍道郷の説明に大国主命が猪を犬を使って追い立てたとある。その犬こそ、神様の初めての記念すべきペットだったに違いない。
大国主命は縁結びの神様である前に、ペットの神様でもあったといえる。そういえば、因幡の白兎だったり、スサノオの試練の時に助けてくれた鼠だったり、大国主命はずいぶんと動物に好かれている神様だ。ひょっとして、みんなペットにしていたのだろうか。どうやって散歩していたのか、聞いてみたいものだ。
ところで、先日、朝の散歩の途中で、また野良猫を見つけたクロとチャ。思いっきりリードを引っ張られた拍子に、僕は手ひどく転んでしまい、手の皮をすりむいてしまった。
とうてい、これではペットの神様に顔向けできないな。
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
よかったら、出雲大社にもいらしてください。
ペットの神様だけにペットとの仲もより深まるかもしれませんよ。
(あ、だったら僕がまず先に行かないとね)
お待ちしています。
こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
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