大きいからって、幸せとは限らない その1
大きい人を見るのが好きだ。
その存在感、見ているだけでほれぼれする。
例えば、プロレスならジャイアント馬場やアンドレ・ザ・ジャイアントなんて、立ち姿だけで圧倒されたものだ。
しかしながら、当の本人の気持ちを考えたことがあるかと言われれば、申し訳ないけれど想像だにしなかったと謝るしかない。
最近、よくプロレスの本を読むことが多いのだけど、彼らにしてみれば大きいだけで好奇の目にさらされ、バケモノ扱いされることは決して本意ではなかったことがよくわかる。
そう考えると、出雲のあの神様はいったい、何を思っていたのだろうと考える。
その名は、八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)。出雲の「国引き神話」の神様である。
「国引き神話」とは、神々が作った出雲が小さく造りすぎたようなので、かわりに八束水臣津野命が新羅、隠岐の島、越の国、良波の国の余ったところを長い綱で引っ張て来て、国を広く作り直した伝説のことである。
そのとき、今の三瓶山と大山を杭に見立て、長い綱を引っ掛けて4つの余ったところを引っ張ってくるという力技を見せたという。
大山は標高1729m、三瓶山でも1126mある。そのおおやまに綱をひっかけるのだから、少なくと見積もっても八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)は500mの身長がないとこの国引き神話は成り立たないということになる。
島根半島がおおむね高いところで500mなので、八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)がちょっと背伸びしたら山から顔が出るくらいである。
いったい、そのような大巨人がどのようにして生まれたのかは、「古事記」、「出雲国風土記」を見ても、どこにも載っていない。
想像するに、この大巨人、子供のころから、そうとう疎まれて育ったのではなかろうか。
なにせ、身長500mである。一体食べるものは何だったのだろう。
食べたものを出した後はどうなるだろうと想像するだけで、とんでもなく大惨事が目に浮かぶ。
おそらく人里では住めなかったに違いない。
なんといっても、身長500m。走っただけで地震である。運動なんてもってのほかで、おそらく山奥に引っ込んでもらって、動くことも制限させられていたのではないか。
そう思うと、なんだか不憫に思えてくる。
幼少期の八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)はいったい何を考え、何を思っていたのだろう。泣いた日がなかっただろうか(泣いたら泣いたで喧しいからそれはとても静かなものだったのだろう)。そしてつらい日々をどう乗り越えたのだろう。
しかしながら、神話で語られるように彼は後に偉大な業績を残すこととなる。次はその業績について考えてみたい。
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