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まちがいを抱えて生きる

60年代に名をはせたバンドの一つにドアーズがある。

ボーカル・ジムモリソン、キーボード・レイマンザレク、ギター・ロビークリーガー、ドラム・ジョンデンズモアの4人編成のバンドで、珍しいことにベースが存在しない。

だからというわけではないかもしれないが、他のバンドとは最初から一線を画していた。ジムモリソンの知的な詩とパフォーマーとしてのカリスマ性も特徴的だった。

ドアーズはそのボーカルの死で終わるので(実はその後も3人でアルバムを2枚残している)、実質の活動は5年しかない。それでも素晴らしい曲をたくさん残し、今では伝説となっていて、なんどもリバイバルヒットを飛ばしている。

そのドアーズの名曲の中に「インディアンサマー」という美しい小品がある。

ジムモリソンはいろいろな逸話を残しており、ハイウェイを通っているときにインディアンの霊にとりつかれて、シャーマン的な踊りができるようになったという話があった。

だからこの曲「インディアンサマー」もそんな内容なのだろうと思っていた。

のちにこれが勘違いであることが分かった。

「インディアンサマー」という英語は造語ではなく、ちゃんとした単語で日本語の「小春日和」を指す言葉だとわかった。

さらにいえば「小春日和」を調べていく段階で、「小春日和」とは「春ののどかな日」ではなく、晩秋から初冬にかけての穏やかで暖かい日和 (ひより) のことだということもわかった。

ぼくにはよくそういうことがある。いろいろと勘違いしたまま大人になってしまい、これまでの成長の過程で堂々とその間違いを使い続けてきたのである。陰で「ぷぷぷっ」と笑われていたんだろうな、そうおもうと情けなくなってくる。



出雲神話の中で致命的なまでの勘違いといえば、アマテラスとスサノオの高天原事件であろう。

高天原で、イザナギの命令に従わずに泣き暮らして大人になったスサノオ。スサノオはついに母の国である葦原中つ国へ行こうと決意する。お別れに姉であるアマテラスに会いに行こうとする。それを見ていたアマテラスはスサノオが攻めてきたと勘違いをしてしまう。その後、いろいろなことがあってスサノオは追放される形で葦原中つ国に行き、その地で英雄神となる。

あのとき、アマテラスがスサノオが攻めてきたと勘違いしなければどうなっていたのだろうと思うことがある。もし平和的にアマテラスがスサノオを見送っていたとしたら、後の国譲りは行われなかったかもしれない。

高天原はアマテラスが支配し、葦原中つ国はスサノオが支配する。たまにはスサノオの里帰りがあったりして、アマテラスもこまごまともてなしたりしたかもしれない。スサノオもそのお礼に「姉さん、たまには葦原中つ国にも来てごらんよ」といって葦原中つ国の観光案内を買って出たりして。

スサノオ、アマテラスの姉弟はいつまでもなかよくお互いの国をいったりきたりしましたとさ、おしまい。そんなふうになれたかもしれないのである。かえすがえすも残念だ。

まぁ、すんでしまったことはしかたない。しかし、ふとおもうのだけど、その後、高天原はどうなったのだろう。その後の文献にも高天原の記録は一切ない。今でもラピュタの飛行城のように天に浮かんでいるのだろうか。



出雲大社を西に数キロ行ったところに、日御碕神社がある。この神社ではアマテラスとスサノオが並んで祀られている。ひょっとして、ふたりの仲たがいをなんとかしようと建てられたのではと邪推したくなる。


2月に入り、まだまだ寒さが和らいできませんが、みなさんどうか体には気を付けて乗り切っていきましょう。もうすぐ、小春日和です ♪ 
(また、間違った使い方をしている気がする)



今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。  

よかったら日御碕神社にもいらしてください。

アマテラスとスサノオはすっかり仲直りして(そうあってほしい)

お待ちしていますよ ♪

このヘッダー画像はノラ猫ポチさんの画像をお借りしています。ありがとうございます。



こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。

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