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【短編小説】淡い桜木の盟約

「ねえねえヒカルくん。この曲イヤフォで聞いたらすごくいいよ」

「どこのマリオだよ」
 
「え何言ってんの?」
 
「……よくそれで有名校受かったな」
 
 僕と隣り合い、桜木の下ベンチに座る真島ましま一乃々佳いちののか。背後で淡く咲かすは僕らと同学年、樹齢15年のソメイヨシノ。

 そよそよと揺らめく桜のシルエット柄の樹影に一乃々佳は陰っては照らされ、胸元にはコサージュが据え咲く。これは今日、卒業式で在校生が贈ってくれたものだ。
 
 父さんがマイホームの庭にソメイヨシノを一本だけ植えたのが、僕が生まれた翌日だったらしい。
 
 今でもまだ細く立派な桜木とは言えないけれど、家の塀を超え、隣家の敷地にまでソメイヨシノが侵入した小学4年生のころ。
 
 塀の先、真島家に住む女の子が「あの桜のふもとでお花見したい」と言い、母親の手を引きながら我が家を訪ねてきたことが始まりだ。
 
 それから僕は一乃々佳とよく遊ぶようになったことを覚えている。
 
 父さんが日曜大工で作った子供サイズのベンチでは、昔のように僕と一乃々佳が座ると狭い。そして近い。近い、近い! 肩がポンっと触れ合うたびに、一乃々佳の制服から暖かな陽の香りが立つ。いつものこの香り、当たり前のこの香りが、桜と共に散ってゆくことを知っている。
 
 あと、風が吹いて一乃々佳の長い髪の毛が僕の顔面にペシペシ当たるのだけれど、スマホに夢中で彼女はまったく気付いていない。くすぐったいのだが。
 
 一乃々佳はスマホ片手にお気に入りの楽曲を流しながら、この曲のどこがいいとか、そんな話しを続ける。これが最後になるかもしれない。というのに――。
 
 一乃々佳、僕は君のことが……好きだ。
 
 それなのに、いつもの調子。まるで、また明日学校で。そう言って別れてしまうような。
 
 ちょっと待ってくれよ。……一乃々佳はこの春、県外の有名進学校に行ってしまう。
 
 もしかしたら、一生会えることすら叶わない未来が待っているかもしれない。そう思うと余計に……だからせめて最後……僕の気持ちを一乃々佳へ。
 
「私たちもうすぐ高校生か。今度は上手くできるかなー」
 
「大丈夫だって」
 
「でも、中学では失敗しちゃったしさ」
 
「気にするなよ。女子のやっかみだろどうせ。一乃々佳……可愛いしさ」
 
「そうだよね、わたし可愛いから困ってる」
 
「せめて否定せぇ。奥ゆかしいソメイヨシノもびっくりだよ」
 
「冗談だってば」
 
 僕と一乃々佳は笑う。
 
「でも、上手く立ち回ってる女子ってみんな嘘つき」
 
「時に嘘は必要なんだよ」
 
「学校で嘘つきは悪いことだーって習ったよ」
 
「嘘じゃない。君だってさっき冗談だって言ったじゃん。冗談とか、建前とかお世辞、そういうのは嘘って言わないの!」
 
「ふーん。なんかめんどくさいね」
 
「みんなそうやって上手いこと使い分けてんだよ」
 
「あーめんどくさ。わたしは器用に使い分けできないからこのまま嘘つきになっちゃいたい」
 
「なれば?」
 
「じゃあ花占いで決めよっと」
 
 一乃々佳はソメイヨシノの花の根本を器用にちぎった。
 
 桜で花占いっておまえ……中学校の校章も桜だったろうに……。
 
「嘘をつく、つかない、つく、つかない……つく!」
 
 でしょうね。そりゃ5枚だもの。
 
 最後の一枚、一乃々佳は指先で花びらを引っこ抜いて言う。
 
「よし、じゃあここで誓いを立てよう」
 
「なんの?」
 
「嘘つきになるための盟約。桃園の誓いってやつ? あれやろう」
 
「それは桃だ!」
 
「じゃあ、桜木の盟約。ほら、わたしがまだ魔法少女で、ヒカルくんが暗黒騎士だった時にも誓ったでしょ?」
 
「そんな明るく黒歴史を語るんじゃないよ」
 
「いいじゃん」
 
 昔、小学校を卒業して、中学校へ入学する前にこのソメイヨシノの下で一乃々佳と誓いを立てた。ちょうど今みたいに互いが新しい生活に対する不安を鼓舞し合って払拭する儀式のように。ひたむきに明るく、ふざけあって。
 
 たしかこう。
 ――魔法少女がピンチになったら暗黒騎士は、ダークスプラッシュで助ける。
 ――暗黒騎士がピンチになったら魔法少女は、魔法の力で助ける。
 
 魔法のステッキと、黒い刀身の刃の先とを突き合わせ、ソメイヨシノに約束した情景が蘇った。
 
 これが桃園の誓いだったとしたら三者いるはずだ。ソメイヨシノも同時に僕たちに何か誓ったのだろうか。そんな妄想はあまりにドラマチックが過ぎるか。
 
 僕の中学生活は、特段ピンチもなく平凡な日々だった。が、一乃々佳は違った。
 
 一乃々佳が魔法少女を引退するくらい成長してしまったころ、一乃々佳がある日を境に学校で女子たちからハブられるようになっていった。
 
 そのとき僕だってもう暗黒騎士ではなく、闇の力で彼女を救うことはできなかった。
 
 一乃々佳は僕の家のソメイヨシノが満開の時でも、散って新緑を得た時でも、灰色一色になった時でも、ここで僕とふたり語り合った。そのとき一乃々佳は「暗黒騎士が救ってくれた」と言っていたことがずっと心の中に残っている。
 
 助けたつもりはないし、むしろ女子のコミュニティに対して暗黒騎士ふぜいが干渉できる必殺技なんて持ち合わせていなくて、無力を痛感していた。
 
 一乃々佳はいつも僕の前では明るく振舞っているけれど、本当はすごく苦しい中学生活だったんだろう。って。そう思っても僕ができることはここで一乃々佳と一緒にいて、彼女の笑顔を引き出すことくらいしかできなかった。
 
 正確には僕は盟約を守れなかったんじゃないか、そんなふうにモヤモヤした気持ちがずっとあった。
 
「なあ一乃々佳、暗黒騎士はあのときの盟約守れてた?」
 
「うん。魔法少女は弱かったけど、きっと暗黒騎士がいなかったら耐えられなかったよ」
 
「そっか。それなら一応誓いは果たせていたのか……」
 
「よし! じゃあ新桜木の盟約始めよう。わたしは嘘つきに生まれ変わる。そう、わたしはこれから暗黒魔法少女になる!」
 
 あの時のステッキまだ家にあったかなぁ。と一乃々佳は指先を顎に当てていた。僕の暗黒騎士時代の剣はまだあるけれど、さすがに持ってこようとまでは思わない。家の塀に囲まれて誰にも見られないとは言っても恥ずかしくて、嫌だ。
 
「ほら、ヒカルくんもまた何か誓いを立ててよ」
 
「え、僕も?」
 
「当たり前じゃん」
 
「そうだなあ、じゃあ僕は聖騎士にでもなろうかな」
 
「ふざけないで!」
 
 一乃々佳は思いのほか真面目に僕を叱りつけた。
 
「わたし、本気なんだから。暗黒魔法少女になって、魔法の力でメタモルフォーゼして、高校生活では上手くやるの」
 
「じゃあ、僕は……暗黒魔法少女を助けたい。聖なる力で、暗黒面に落ちた魔法少女を救う」
 
 僕はあの時のように力強く立ち上がって、真っすぐ一乃々佳を見つめた。
 
 春らしく、ふいに突風が吹いた。
 
 ソメイヨシノもこの盟約に頷くように花々を揺らし、一乃々佳はスカートを手で抑え、瞳がきらめいていた。
 
「ステッキ探してくる!」
 
 一乃々佳は風に乗って自宅へ走って行ったので、僕も自宅へ戻り、押し入れの奥から暗黒騎士の剣を取り出した。
 
 僕が剣を携え庭に戻ると、一乃々佳がベンチでステッキを構いながら座っていた。
 
「あれ、おっかしいな」
 
 ステッキの柄にはボタンが付いていて、押すとピピピと光りながら電子音を放つのだが、どうやら電池切れのようだ。
 
「お、暗黒騎士じゃん! またわたしとバトルする?」
 
「アホか。剣持ってるだけでも恥ずかしいんだが」
 
 そう言いつつ、僕は当時考案した「暗黒龍の構え」を一乃々佳に披露すると、一乃々佳はピョンっとベンチに乗っかり、
 
「やや、出たな暗黒騎士! 魔法の力で浄化してあげるから見てなさい!」
 
 言って、本来はここでステッキのボタンを押し、そのステッキで「えい」とイチノノカビームを放ち、僕はいつも倒れこんで敗北する流れだ。
 
 過去の戦績は全敗。魔法少女の圧勝だったのだが、今日は勝てるかもしれないと思い、僕はたたみかける。
 
「フフフ、そのステッキは我が力によって無効化している。今日こそはこの刃の錆にしてやろう」
 
「くそぅ、だからこのステッキの魔力が解放できないのね」
 
 とんだ演劇が始まってしまったが、やぶさかではない。
 
「魔法少女よ、おぬしは穢れてしまったのだよ。我のように暗黒面ダークサイドに落ちる時来たれり!」
 
「うぐっ」
 
 魔法少女はベンチの上でひざまずき、胸を押さえて苦しんでいたかと思えば、むくりと立ち上がり、わざとらしくステッキをポロっと落としてみせた。驚いた顔で自分の両手を見つめ、
 
「これが、暗黒面の力…………くっくっく。暗黒魔法少女、暗黒一乃々佳の誕生!」
 
 言うと横ピースの間から不敵な笑みを浮かべて僕を見た。
 
 よもや女子高生のやっていいポーズではないが、僕の目には確かに彼女の周りに黒々したオーラを纏っているエフェクトが見えてしまっていた。
 
 暗黒魔法少女の誕生である。
 
 さあ、この辺でもういいだろう。
 
「はーい。終わり」
 
「ええー、これから熱いバトルになるんじゃん」
 
「もういいだろ」もういいよ、やめよう、こんなこと。
 
 今日がきっと最後なんだよ一乃々佳。こうやってふざけあえるのも、この先大人になったらもう来ることはない。そのステッキのように、魔法少女が存在する幻想世界で高校生以上は住むことが許されない。もう…………電池切れなんだ。
 
「で、暗黒魔法少女さんはこれからどうすんだ?」
 
 一乃々佳はお得意の「白鳥の構え」で対抗姿勢を取っていたが、僕のせいで無理やり現実世界に引き戻されがっかりと言わんばかりの表情でベンチから軽く飛び降りて、地面に落ちたステッキを拾って付いた砂をはらった。
 
「……暗黒騎士が教えてくれたみたいに、嘘を纏って生きるよ」
 
「それって多分、きついぞ」
 
「今より、……ましだよ」
 
 さみしそうにうつむく一乃々佳に、少々酷なことを言ってしまったと後悔した。
 
 こうやって気丈に振る舞う一乃々佳にとって、中学生活はよっぽど暗くさみしいものだったのだろう……。そう思い、励ます。
 
「そうだな、きっと上手くいく。嘘は暗黒面の技。それを会得した暗黒魔法少女ならきっと大丈夫」
 
「……それで、ヒカルくんも誓うんでしょ」
 
「ああそうだったね」
 
「僕は暗黒騎士の鎧を脱ぎ捨てて、聖騎士になるよ」
 
「わたしは暗黒面に落ちたのに、今度はヒカルくんが神聖な者になるなんて残念」
 
「やめとく?」
 
「ううん、そうじゃない。暗黒面の仲間同士だったらバトルできないし」
 
「まだ争う気?」
 
「あったりまえじゃん。敵同士が共闘する場面があるから熱いんだよ」
 
「じゃあ僕は聖騎士として…………」ここで、聖騎士として一乃々佳を守るなんて言ったら、まるで告白しているみたいだ。
 
「わたしがピンチのときに救う」
 
 一乃々佳がつまる僕の言葉の先を言った。
 
「それでね、わたしも聖騎士がピンチのときに救う。昔と同じ。それでいいの」
 
 それでいい。でも、違う。僕は、僕は……君のことが……。
 
「はいっ、じゃあ昔みたいに桜木の盟約するよ」
 
 一乃々佳はソメイヨシノの下で幹に向かってステッキを天に突き上げた。
 
「ほら、早く」
 
 一乃々佳は僕を急かすけれど、この盟約は昔と違う。遠くに行ってしまう一乃々佳を僕が守ってあげることなんてできっこない。到底約束できる代物ではない。これでは僕が嘘つきじゃないか。聖騎士たるもの、真実に忠実であるべきではないのか。
 
「……きない、できない!」
 
「なんで?」
 
「僕は君を救えない」
 
「いいよ、べつに」
 
 彼女は本当に暗黒面に落ちてしまったらしく、僕に嘘をついてもいいと。嘘をつくなんて当たり前。そう言っているようにも聞こえる。
 
「ダメだよ」
 
「聖騎士さんって真面目だね」
 
「暗黒魔法少女が不真面目なだけさ」
 
「だったらね、わたしがまた聖なる魔法少女に戻れる場所を守ってて」
 
「わかった」
 
 僕はプラスチックのチープな剣を掲げる。
 
 いつからか僕より背の低くなった一乃々佳は背伸びをして、僕の剣のきっさきに届かず、刀身にコツンとステッキを当てた。
 
 桃園の誓いのように、この桜木の盟約も果たされないのかもしれない。それでも、僕は一乃々佳が戻ってこれる場所を守っていようと強く心で誓った。
 
「一乃々佳、高校生活、上手くいくといいね」
 
「うん、きっと大丈夫。いつだってヒカルくんがわたしを守ってくれたから」
 
 結果はいつだって裏切る。嘘をつく。そんな世の中でも、僕だけは一乃々佳のためにできることをしたい。
 
 最後、僕は暗黒魔法少女に想いを告げる。
 
 本当は、一乃々佳の気持ちなんてとっくの前に気付いてた。
 
 でも、一乃々佳は県外の進学校に行くために頑張っていたのも隣でずっと見てきた。眩しかった。そして僕は……劣等感に勝てなかった。
 
「あのさ、僕、一乃々佳のこと……ずっと好きだった」
 
「………………わたしも好き」
 
 知っていた。だからこそ、今日までずっと言わなかった。
 
 暗黒騎士だったころから一乃々佳と僕とでは不釣り合いだってことわかってた。一乃々佳は勉強もスポーツできる。絵だって上手いし、いつも優しい。笑顔が可愛い。あと、いつだって一生懸命だ。キラキラしている、そんな君が好きだけど。
 
 けど、太陽に焼かれるようなその熱量に、強光に目がバグるように、それでいて包み込むような優しさが、僕に劣等感を与えているなんて一乃々佳はまるで気付いていない。
 
 僕が高嶺の花を刈り取ったところで、花瓶に生けても、鉢に植え替えても、たぶん枯れる。だからその地で気高く咲いていてほしい。僕が本当の聖騎士になれたその時に、その花を取りに行くから。
 
 そんな一乃々佳でも暗黒面の力量に関しては僕より劣っている。だから暗黒面、いや、嘘つきになるなら、なるならなあ! 僕が言ってやる、わからせてやるよ。
 
「まったく、やっぱり暗黒魔法少女は嘘が上手い」
 
 本当はこんなこと言うべきではなかったのかもしれない。
 
「な、わたしは……」
 
 今は僕がまだ未熟。聖騎士になったそのときに、また迎えに行くから、それまでは――、優しい嘘をついていてほしい。暗黒魔法少女、なあわかってるだろ。
 
「わたし……そう! わたしは暗黒魔法少女、嘘の塊のような悪者! 聖騎士の誘惑になんて騙されるもんか」
 
「くそぅ。これで暗黒面から暗黒物質ダークマターを取り除こうと思ったのに。ぐぬぬ」
 
「くっくっく。甘いぞ聖騎士!」
 
 ありがとう。これでいい。これで……。
 
 よく言ってくれたね一乃々佳。
 
 僕だけ好きだと伝えてズルい気がするけれど、それは君だって僕に対してこれまでしていたことだ。ちょっとしたイジワルかもしれない。
 
 だから、僕が暗黒騎士だった時のように、暗黒面の辛さを噛み締めて。嘘をついて生きるという強さを知れば、もう大丈夫。
 
 高校生活、僕がいなくても上手くやっていけるよ。きっと――。
 
「なあ一乃々佳………………がんばれよ」

 ひとひらの花びらがちょこんと彼女の頭の上に乗っかった。
 
 暗黒魔法少女は白鳥の構えで片足を上げ、横ピースで目を覆っていた。
 

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