教室での音読が怖すぎて号泣した話

 "Repeat after me."  "Loud voice!!"

 このフレーズは学校の英語の授業で聞いたことあると思います。「私の後に続いて繰り返して」「大きな声で!」という意味ですよね。


 高校生のとき、私は5教科の中で英語が一番得意で好きだったので、授業にも真面目に参加していました。先生の、とてもきれいな発音で繰り出される単語や文を、後に続いて追いかけます。

 私の高校には、真面目な人が多かったので、当然私よりも大きな声で発音する人はたくさんいました。すると、そこまで大きくもなく、通るわけでもない自分の声は周囲の声でかき消されます。経験ないでしょうか。周りの音に、自分の声がかき消され、話しているのに聞こえないあの感覚。

私はその感覚がとても嫌いでした。さらに耳が過敏だったこともあり、入ってくる周囲の発音が、先生や教科書の発音と違う、俗に言う「発音が悪い」状態だと気持ち悪くなりました。ピッチのあっていないオーケストラを爆音で聞くような感じです。

自分の声が、良くない発音にかき消される。

とても不快で教室から出たかったくらいでしたが、評定を気にしていたので音読に参加しないわけにも行かず、辛いなりに授業には出続けていました。

高校1年生のときはまだ、一斉に同じ文章を揃って読むという機会が少なかったのでなんとか乗り切っていました。しかし2年生になると一気に一斉に音読する機会が増え、そしてほぼ毎日その授業があったので、日に日に学校に行くことそのものがしんどくなるくらい、追い込まれました。

たかが音読で?

担任含めた周囲の反応はそんな感じで、ほとんど誰にも相談できませんでした。


「たかが」に負けちゃいけない。だけど辛い。そもそも大好きだった英語が辛いなんてそんな自分が許せない。先生の英語もかっこよくて、むしろ憧れていたのに、気がついたら先生の声が怖かった。学校で先生を見かけたら、無意識に逃げていました。

 葛藤が限界を超えたのでしょうか。

夏、いつものように教室で音読を始めると、涙が出ました。これはおかしいと思い、一度音読をやめましたが、それでも涙が止まりません。次第に呼吸も浅く速くなり、みんなの音読が終わった頃には周りが気づくほど泣いていました。


友達が手を引いて教室から抜けさせてくれて、そのまま保健室に駆け込みました。

その日はそれで終わりましたが、その日からしばらく英語の授業には全く出られず、学校内の色んなところで時間を潰していました。それを1週間ほど続けると、さすがに担任に「出れば」と言われ、教室の一番後ろの席なら、みんなの声が、まだ聞こえにくいのではと思い、英語の時間だけ席を移動しました。

 結局それから1年、授業は一番後ろの席で受けて乗り切りました。途中から耳栓も使用して、音読も参加できないことを英語の先生に相談し、理解をいただきました。一度先生としっかり話すと、先生に対する恐怖も取れていきました。

高校3年生の時の英語の授業は、ほとんど音読しなかったので、席を移動したり、耳栓を使うことも無く済みました。


 大学生になった今は、音読をしていても少しは周りの音の中でも自分の声を拾えるようになり、不快度は減りました。またオンライン授業ということも手伝って、イヤホンを自由に取り外しできることで助かっています。  

 しかし、ある程度克服したとはいえ、涙が出たときの音読の時間が突然フラッシュバックして、今日も家で大泣きしました。たまにあるんですよね。まだまだ何か、残っています。

 当時も今も、いくらネットで調べても、音読が怖い人の話は出てこなかったので自分で書いて、同じ人に見つけてもらえるといいなと思い、今、書いています。

 結局私が高2のときに、どうして音読でそこまで困ったかというと、思いつく理由は2つあります。  

ひとつは、完璧主義だったこと。自分はこうでなくてはいけない、が強すぎて、それに反する現実の自分を見るとアレルギー反応を起こしていたのではないかと思います。この場合「英語が好きならば、英語ができて当然。当然音読もきれいな発音で美しく読まなければならない」と思っていたのが良くなかったのかなと思います。もちろん発音に気をつけて読むのは大事ですが、「家で読むときはそうしなければいけないけど、教室では別にいい」など、ちょっと緩めて考えても良かったのかもしれません。

2つ目は、単純に経験不足。私は昔から、人よりも日本語の文章ならスラスラと読める方だったので、英語であろうとスラスラ読めることには変わりない、と自分を過信していたのだと思います。なんで頭の中では読めるのに、声に出すと詰まるの?つっかえないようにするので精一杯なのに、発音まで気をつけなければいけないなんて正直キャパオーバーでした。母語じゃないのに簡単に行くはずがないのです。家で、つっかえずに読めるようになるまで準備すればよかったな、と気づいたのは、すでに英語が怖くなった後でした。 


 いないとは思いますが、もし同じようなことで苦しんでる方がいたら、上のような感じで自分を自分で苦しめてないか、確認してみるのもいいと思います。自分の中の「〜しなければならない」は他人から大概見たら大したことではないので、少し緩めても全然問題ありません。自分の場合、音読もそうですが、他の苦しいことも大体自分で自分を縛ってるから苦しいだけだったりします。

 でも緩めるのって、簡単じゃないから苦しいんだよ!

 そうですよね。

 今すぐは難しいかもしれません。でも、もがけばもがくほど、客観的に自分を見られるようになり、多くを学ぶことができるから、きっと自分で自分を縛る縄も緩まると思います。

 あえて言います。がんばってください。

 自分を解くのは自分だけです。周りの人は、助言はするけど責任は取れませんし、あなたを解いてあげることもできません。

 世の中、何も考えなくても生きている人はたくさんいます。考えなくては生きていけない繊細な人間に生まれてしまったことを恨むこともあると思います。しかし、私もまだまだ途中ですが、付き合っていくと、中々良いこともあります。

 一体何の話なんだ、というところですが、今日は音読の話なので、唐突ですが一旦ここらへんでやめますね。読んでくれてありがとうございます。







 

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