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海の向こうにいる友人の命を救った話

先日のことである。私は所用で大阪の心斎橋に降り立った。ここから少し歩くと、あの大きな蟹やグリコの看板など「大阪」といった光景を見ることができる。それを目当てにやってきた外国人観光客で街はあふれていた。彼らを見て、私はSNSで知り合った外国人の友達に名所の写真を送ろうと考えついた。人混みをかき分け、なんとか一通り写真を撮って送信する。

しばらくすると「面白い」との返答があった。問題はその次である。その友人は「ありがたいが、もう返信することはない。自殺するつもりだから。」と続けたのである。すでにかw利道にあった私は思わず声をあげそうになった。

足を止め、必死で考える。もし友人が日本在住なら、とりあえず引き留めながら警察に保護してもらうのが適切な対処だろう。住所を知らないなら専門のホットラインへ誘導すればよいだろう。しかし相手は海の向こうにおり、上の手段は全て封じられている。現地にどういった制度や機関があるかなど全く知らないのである。

加えていうなら、友人がその程度まで「準備」を進めているのかもわからない。日本では日本では死に至るような薬物も拳銃も規制されているが、友人が住む国では簡単に手に入ってしまうかもしれない。そうなると事情も変わってくる。

こういったときに大切なのはまず落ち着くことである。どうにもならない事態の時にこそ平常心を失ってはならない。もし相手が心の底から死を決心していたなら、私のグリコ看板を無視してもよかったはずではないか。人生の一大決心を中断してまで感謝しなくてはならないものではない。一応返信があったということは引き止められる見込みもあるはずである。

気を取り直して「何かできることはないか」と聞いてみた。最前手がない以上は迅速に行動しなくてはならない。最初は「もう仕方ない。あなたもわかってくれるだろう」と帰ってきたが、もう一度粘ってみた。すると幸いなことに一旦事情を話してくれることになった。

どうやら悩みの中心は孤独感だったらしい。学校で孤立していると感じ、寂しさや自己否定が募っていく。勇気を出して家族に相談しても「自分が悪い」と逆に責められたという。完全な孤立状態であり、確かにこれはひとりの人間を追い詰めるのに十分な状況だろう。

私は「学校だけが全てではない」というような内容を書き連ね、何とか安心してもらえるように努めた。外国語では細かいニュアンスは伝えにくいが、拙い語学力を振り絞って表現しなくてはならない。日本語での経験も含めて人生で一番長いメッセージの量だったかもしれない。

文章の内容に共感してくれたのか、それとも長文を送りつける執念に折れてくれたのかはわからないが、とりあえず友人は落ち着いてくれたようだった。ひとまず友人を死の淵から救うことができて私は胸を撫で下ろした。おそらく根本的な問題は解決していないが、折り合いはついたようであり、今でも無事にメッセージを続けている。

しかし一旦解決した今になって考えると改めて感じることがある。まずは「孤立すること」の恐ろしさだろう。周りに味方がおらず、ひとりぼっちだという感覚は何よりも辛いものである。科学的な研究すら孤独は死亡リスクを高めるとの結果を出しているが、孤独の耐え難さは論証なしにわかることである。

家族は親身になってあげて欲しいところだが、友人の国は現在政情が不安定であり、家族が辛い対応しか取れなかったのもこのストレスからかもしれない。もっと社会に余裕があれば、そもそも友人が孤独を感じる前に周囲の大人が対処できていたかもしれない。苦痛の中で他人を気遣うのは難しくなり、お互いに思いやりがなくなると孤立する人が増えていく。これは一種の悪循環である。

もしあの時、私が友人に写真を送るタイミングが少し遅れていたら手遅れだったかもしれない。通信技術の発展により、遠い国にいる友人とつながりがあったおかげで命が救えたのは確かである。それでも偶然に助けられた頼りない命綱だった。いくら技術が発展しても「孤立」は人類の課題のひとつなのだろう。

ラテン語の成句に「アルカディアにも私がいる」というものがある。これは死神の台詞で、「アルカディア」とは理想郷を指す。つまり「理想郷でも死からは逃れられぬ」という意味になる。

この言葉が生まれた時代と比べれば現代は理想郷かもしれない。生活は便利になって苦労は減り、医学も進んでいるから死は身近なものではなくなった。それでも孤独や孤立という要因は昔と変わらず死を引き寄せてしまうのである。

もし今後の人類が目指すところがあるとすれば、そのひとつはこの精神的な面になるのかもしれない。少なくとも道頓堀の写真に命がかかるような経験はこれひとつで終わりにしなくてはならないだろう。


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