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女性のためのバイブル第1章③葛藤と希望の狭間での決断

1:セルフケアを知らない人は愛を知らない
2:女に生まれてよかった

続き

[女に生まれて良かった。]

そのマリアの言葉がエミリの心を痛めた。そう思えるなら、そう思いたい。でも、この社会では、女性が女性を謳歌するのは難しいのではないかと思った。

興味本位で受講した考古学のクラスで、世界には”女性が美しく扱われる文化”と”女性は汚らしい存在として扱われる文化”があることを知った。中南米では女性を神として祀ることをするのだと。それに対し、アフリカでは女性は汚らわしいからと、出産が終わった女性に対して膣を針と糸で縫う習慣があることを知った時には、吐き気がし、言いようのない怒りが湧いてきた。

(どうしてこんなに性に対して、人は激しい反応をするのかしら?そして、どうしていつも女性が犠牲になるのかしら?)

その疑問は、エミリの日常生活でも刺激された。

会社の上司は、寿退社をする先輩に対して飲み会の席で

「だから女はあてにならない。せっかく教えて使える頃には、妊娠しやがる」

と言っていた。

子宮筋腫で病院の先生は

「まあ、あまりにも痛みがあり、出血が酷いようでしたら、摘出したらいいですよ。子供を産む以外に必要ないですから。」

とさらりと言った。

高校生の時に、男子生徒が友達について

「あの女、声をかければすぐにやらしてくれるぜ」

と話しているのを聞いた。

そういえば、シングルマザーになった親戚のおばさんは

「男になんか頼らないで手に職をつけなさい」

と従姉妹に言っていた。

それら一連の女性に対する言葉を思い出しながら

もう一度マリアの言葉を口に出して言ってみた。

【女に生まれて良かった】

言った後に虚しさと腹立たしさの両方が出てきた。


(女に生まれて良かったって何なのよ)そう言いながら、エミリは体を横に向けて枕を抱いた。

(まあ、女性が美しく奉られることって、きっと昔の偶像崇拝時代の話よね。そんな昔の世界観を、今の時代に少なくとも私の周りで見たことがないわ)とひとりごちた。

それでも、脳裏にマリアの言葉がふわっと浮かび、その言葉がエミリの心をざわつかせた。

【セルフケアを知らない人は、愛を知らない人】

(もしも、そのセルフケアというものを知ったら、私もマリアの子宮が生理を回復させたように、私の子宮筋腫もなくなるのかしら。私も男性に大切にされる存在になれるのかしら?私も女性の素晴らしさを理解し、女性としての人生を謳歌できるのかしら?)

そう期待を抱きながらも

(そんな虫のいい話、あるわけないじゃない)

と、そんな期待と嘲笑の気持ちを行ったり来たりしていた。

ただ、マリアのいうクラウン島について考えると、自分の内側がワクワクした。こんな感覚はいつぶりだろうか?そんな新しい自分にも驚いていた。

翌日、エミリはマリアに聞いた。

「私、クラウン島に行きたいの。いつ、どうやっていけるの?」

マリアはニッコリして頷いて、地図を書いて渡してくれた。その地図を大事にお財布にエミリはしまった。

それが一年前の夏だった。1年間、お金を貯めてエミリはマリアのくれた地図をもとに指定された波止場へと到着した。

 ようやく一年後にエミリがいきたいと願った場所へと行けるのだ。


波止場に到着すると、一人の男性が立っていた。


続く

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