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穏やかさと不安のバランスを考える|現代の管理社会

今日は息子の部活動の送迎のため少し遠方までドライブ。
帰りまでの空いた時間はカフェに入り、少しの読書とnoteを更新。

「ダラダラと過ごす一日」
読んでいる本の影響もあって、今日はこんな事を考えていました。

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穏やかだ。
今日は心も穏やかだ。

より社会が安定し、安全安心が重視された今の社会は、病気をしないように、怪我をしないように意識が向けられ、”何も起こらない1日”がデフォルトとなっているように感じる。

あれ?自分が子どもの頃ってどうだったっけな?
と考えると、少し違った環境だった気もする。

▽管理される社会

今は、子どもの頃からより大人に管理されるようにもなりました。
(管理なのか監視なのか。)

公園の遊具も危険なものは撤去され、猿が出ただけで通報される。
(野生の猿は危険動物)
なので、公園で遊ぶ子ども自体が減っているように感じます。

他にも大人の付き添い必須!みたいな事も増えた気がするなぁ。
(ルール化されていないけど、暗黙の了解的にそんな雰囲気が増えた)

なんか中学とかの部活動も親の付き添い??みたいな事もあったり、、
(田舎だから仕方ないのかな)

私が子どもの頃なんて、遊ぶ時はいつも子どもだけ。
公園には、物凄い勢いでグルグル回る遊具があって、手を話したものなら即座に遠くに飛ばされ、怪我をして家に帰るなんて事は日常茶飯事でした。
遊びと危険は隣り合わせで、擦り傷は唾を付けておけば治る!みたな治療法は誰でも知っていました。

↑幼少期の自分を思い出して書いたnote
(note始めて3投稿目なので酷い文章。笑 というか今も変わっていない。)


▽今の社会は優しさで満ち溢れています。

それこそ人類が誕生した太古の時代は、”危険””死”は隣り合わせでしたよね。そんな時代の人間は穏やかな性格ではなかったと言います。

今より攻撃的でいないと、生き延びることができなかったのです。
日常が戦いの時代も長かったんじゃないかなと想像できますよね。
戦国時代なんて時代もあったようだし。

人間にはそのような”攻撃性”の遺伝子が持っているにしても、現在はより穏やかに、怒りの感情は沈めるようにアンガーマネジメントされます。

アニメの中でドラえもんのジャイアンをよく見るけど、日常ではジャイアンのようにすぐに暴力をふるう子どもは見かけなくなりました。

現代社会では、ジャイアンのような凶暴な子どもや大人は社会不適合者とみなされ、治療の対象となってしまいます。

今はいかに感情を抑え、穏やかでないと、この社会では生きていけないです。

周りからしても、いきなり感情的になり暴力を振るうような人が近くにいるより、穏やかな人が周りに多くいた方が安心した生活を送ることができます。

優しさに満ち溢れた社会だし、命を大事にする今の社会は素敵です。

ただ、怒りに限らず、焦りや不安などで心穏やかに過ごせない人たちもまたいます。

死のリスクから遠ざかれ、安心安全で長生きが当たり前の社会だからこそ、”今”に意識が向かず、未来の事を考えなければいけなくなので「不安」がやってくるのかもしれません。

そんな社会の環境に合わせて人間は変化をしているんですね。

一方で今の社会の環境に合わせ、求められるスキルや行動ができないと、管理や監視や治療の対象にもなり得る繊細さが必要な時代でもあるんだろうな〜と、そんな事を考えた1日でした。


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