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何に感動するのか、に対するこたえ
舞台も、音楽も、映画も、本も
おおよそ文化と言われるもの、全般が好きだ。
なぜ好きなのか、といえば
やはりそこでは感動に出会えることがあるからだ。
人は人として感動したいのだと思う。
そして、自分自身は
いつ、何に対して
感動を覚えるのかということを考えた時
そこに「誇り」を感じると、強烈に感動するんだと、最近気がついた。
大好きな琉球舞踊や組踊、
さらに本土の能狂言など、
伝統芸能と言われるものは、
その地域、国の歴史文化・誇りといえるものをしっかりと包み込んで、丁寧に守り、現代まで受け継がれてきたもの。
だから私は伝統芸能が好きなんだと思う。
しかし、新たに生み出されたものにも
もちろん「誇り」が込められているものはある。
舞台にも、音楽にも、あらゆるものに。
「誇り」が何なのか、言葉にすることは難しいけれど
「誇り」のある作品とは、受け取る人が明確にそれを感じられるもの。
そういうものに私はずっと感動してきたし
憧れてきたんだと思った。
そして、
古いものや伝統と言われるものではない
「新しい何か」だったとしても
そこに確かな「誇り」があれば、
そしてそれを次世代に育んでいく人がいるならば、それはいずれ「伝統」になりえるのだと思う。
古いもの新しいものを問わず
そういった作品を観たいし
自分もそういうものをつくる側・支える側に立てる人間にもなりたい。
誇りのある活動に携わっていきたい。
「何百年も守り紡いできた伝統」への誇り
「沖縄」という誇り
「ここに生まれた」という誇り
「私が私である」という誇り…
“誇り”もさまざまあるが、
そのどれもが感動に繋がっている。
そしてとても微妙なようにも思えるけど
そのどれもが決して「驕り」ではないのだ。
感動(≒誇り)を求めて歩くことは
これからもずっと続いていくのだろうけど
自分自身に対しても
今やろうしていることに誇りが持てているか、
驕りではないのか。
それは問い続けていきたい。
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