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平かな眼


元気づけられた話

いつも行くドラッグストアに
所謂障害者雇用で働いているんだろうなぁという方々がいる。
明らかに制服が違う方々だ。

常連だからという訳でもないが
いつも私に元気に挨拶をしてくれる。

先日は、私がカートを取る前に
カートを用意してくれて
カゴまで入れてくれて
「カゴもう一個入ります?」って
元気よく聞かれたりして(笑)
「いえ〜大丈夫です〜。ありがとうございます。」
なんて会話をして

その時、なんとなく疲れてたんだけど
そのやりとりが、なんだか面白くって
思わず笑っちゃって
そしたら、なんとなく元気になった。

あぁこういうのって大事だよね
って思った。

何気ないこと
その人が当たり前にできちゃうことで
勝手に誰かを元気づける。

冒頭に障害者雇用の方が…
って書いたけど
実際そう思ってたんだけど
よくよく考えると
別に障害とか関係ないわけで。

以前友人が
「障害があろうが、なかろうが、いいヤツはイイヤツだしヤなヤツはヤなヤツなんだよねぇ」
って言ってた言葉を思い出した。

クラスの女の子の話

小学生の時、クラスに心臓の持病がある子がいた。
勉強も運動もできなくて
太ってもいたから
みんなによく揶揄われるような
女の子だった。

でも、私はその子の家に遊びに行っていた。
別にかわいそうとか、そういうんじゃなくて
ただただフツーに
他の子と遊ぶのと同じように
遊びたいから遊んでいた。

それなのに
「遊んでくれてありがとう」
って、先生に言われたことがあった。
すごく驚いたけれど
言っている意味はわかった。

その時からなんとなく
「遊んであげている」
みたいなものが
付き纏い始めたような気もする。

勿体ない

大人になると
真っ直ぐに見ることが難しくなる。

差別とかそういうんじゃなくて
例えば病名だったり
肩書きだったり
何かしらカテゴライズされてたりすると
その人自身を見る前に
その名称が先に来て
そういう眼で見てしまう。

それがいいとか悪いとか言うよりも
なんだか勿体ないなぁと思った。

平かな眼

平かな眼を
私は確かに持っていた。
ただただ遊びたいからという理由で
あの子と遊んでいた時のような。

平かな眼を
私は今も持っている。
持っていることを忘れてしまうくらい
あまり使っていないのだけれど。

昔みたいに
当たり前のように
その眼を使っていきたいなと思う。

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