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なんじゃこりゃー

一番最初に自分科講座を受けたのは6年前。
ばなな先生の著書等でワークの内容は知っていたから、実際受けられるのが嬉しかった。
自分はどんな絵を描くのかめっちゃ楽しみだったし、こんなふうかなぁって想像したりもしてた。

でも実際に◯△□の紙をじーーーーーっと見ていたら、思ってたモノと全然違う絵が見えてきた。
部屋にいる3人を上から見ている絵。
それは家族の姿だった。

その頃は娘が思春期真っ只中で激しくぶつかり合っていた。
所謂「わかって欲しい」合戦。(激しめのやつ)

その頃私の中にも「わかって欲しい」があったんだよね。
って今ならわかるけれど、当時はただ親子間の問題、娘の問題として捉えていた。


ほぼほぼはじめましての方の中で、写真を撮らせてもらいつつ、ワークにも参加。
描いた絵をグループに分け、グループ毎に集まって話をする。
数時間前まで存在すら知らなかったのに、昔からの友人のように共感し合う。

グループは見方によって分けられる。
見る対象との距離だったり見ている方向だったり。
見方が似ていると躓くところや悩みも似ている。
故に「あるあるー!」と話が盛り上がる。
そこに年齢とか性別とか関係ない。
平かな関係性がそこにはある。

違いを楽しみ
同じを喜ぶ

同じグループの人たちとは共感し合い、違うグループの魅力を讃える。
それぞれの存在が大切なんだと気づく。
終わる頃には離れ難いような空気が室内を包む。

帰り道、車を降りた時の感覚をまだ覚えている。
目の前がクリアになったみたいな。
目に映るモノが新鮮だった感覚。
「なんじゃこりゃぁー」って思った・笑
とんでもないモノに出会ってしまったなぁと。

子どもの頃の眼戻っていたんだよね。
大人眼鏡を外したような。
曇りのない眼。
真っ直ぐに物事を捉える眼。
当時はそれを理解してなかったから「なんじゃこりゃー」だったけど・笑

歳をとることは悪いことではないけれど、自分じゃないモノをたくさんくっつけてしまう。親の目、友だちの目、先生の目、世間の目、社会の目…

それは生きていく為の叡智でもある。
でも、自分が本来持っているモノの素晴らしさを、時に忘れてしまう。

かれこれ何百枚もの◯△⬜︎の絵を見てきたけれど、同じ絵はない。
似たような絵はあるけれど、同じ絵はない。
それぞれにそれぞれの見方があり、それぞれにそれぞれの物語がある。
人の数と同じだけある。
人生の数と同じだけある。
なんて尊いんだろう。


そんな◯△□のワークを6年後、まさか自分がやるなんて思ってもみなかったなぁ。
あの頃の自分に伝えても絶対信じない・笑

いよいよ明日です。


実は参加者0なんです(涙)
でも開催します。

自分本来の見方を知りたい方。
自分らしさを知りたい方。
自分らしく自己表現していきたい方。
自分の素晴らしさに気づきたい方。

是非いらしてください。
私が感じた「なんじゃこりゃー」を体感してみてください。

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