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何のためか。誰のためか。


何のためになるの?
誰のためにやるの?

そんなことを考えさせられた、なかやんの宿題のお話。

確かに宿題は子どものモノだよねぇと、妙に納得した。

宿題があるのが当たり前。
宿題をやるのが当たり前。

自分自身がそういうふうに育ってきたからねぇ。
そんなふうに思っていると、誰のための宿題なのか、何のための宿題なのか、忘れてしまう。
現に忘れていたから、この記事にハッとさせられたのだ。

なかやんの記事にもあるように
「親を安心させたい」
という目的で出される宿題ならば
いっそ正直にそう伝えたらいいんだと思う。

「親のためかぁ」と
張り切ってやる子もいれば
「そんなんやってらんねぇ」
って子もいるだろう(笑)

それでいいんじゃないかなぁ。

変に正論立てて「あなたのためよ」って嘘をつくからややこしくなるのかと。
言語化できなくても、そういう裏の雰囲気的なモノを無意識に子どもたちは感じ取ってしまう。

そしたら
「そんなんやってらんねぇ」
に、なるよね。

この「何のため、誰のため」って、宿題だけの話ではない。

目的と手段が入れ替わるのはよくあることで。
家族を喜ばせたくてご飯作ってるのに
変に頑張り過ぎて不機嫌巻き散らかしたりねw
(あるある)

家族で楽しい休日を過ごすためにお出かけしたはずが、予定通りにいかなくてイライラしたりねw
(あるある)

そのなかやんと支援級についてこの前少し話をして、それも結局は「何のため、誰のため」ってところだろうなぁと。
(この話はまた改めて別記事で)

当たり前になってしまっていることこそ
「何のため?誰のため?」
って問い直してみるといい。

そんなことを思い出させてもらった。


そんななかやんと私が
明日は担当です。
(もう今日かw)

あと1名様大丈夫です。(26日0時現在)
前回私が担当した時もなかやんと一緒だったんだけど、不登校から宗教まで
幅広く話しました(笑)

なんでも話せるそんな場です。

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