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助け合う子育て、助け合う教育

新幹線と都電荒川線。
都電荒川線がよくわからない方は
お近くのローカル電車を思い浮かべて欲しい。

新幹線が走っている線路を、都電荒川線が走ったらどうだろう?

逆に、都電荒川線の線路を新幹線が走ったら、どうなっちゃうのか?

そんなん危なくてしょうがないし
あり得ない話。

決して、新幹線が良くて都電荒川線がダメとか
都電荒川線が良くで新幹線がダメとかいう話ではなくて。

それぞれの良さがあり、目的に合わせて違う場所を走って、誰かの役に立ってるよねって話で。

急に何言ってんだってカンジだと思うんだけれど、実は私たちはこれをやろうとしてる(やってしまっている)という話。
子どもたちに対して。

昨日のばなな先生のお話会。
テーマは発達障害 

このお話会の中で前述の電車の話をされて。

電車で例えると、アホらしいと思えてしまうことを
私たちはやっている。
みんなで子どもたちを新幹線にさせようと必死になり
やれスピードが出ないだの
やれ車両が短いだの騒いでいる。

都電荒川線の良さや目的を忘れて。
忘れてっていうか、見ないようにしているのかもしれない。

所謂発達障害の問題って、スタンダードから遅れてるからなんとかしましょうよ、ってところなんだけど
そのスタンダードが何処にあるのか。

ここでも書いたんだけど

スタンダードって何だろうと、冷静に考えるとよくわからない。
少なくとも誰かの決めたスタンダードであって、
そこに我が子を当てはめてどうこうって言うのは
先程の新幹線と都電荒川線みたいな話で。

そもそもそのスタンダード、おかしくない?
ということ。

実際にばなな先生が現役の先生してた時(もう5〜6年前かな)ですら
勉強が「できるグループ」と「できないグループ」の2つ山ができるような状態で。
スタンダードって、中央値をとるようなカタチだと思うんだけど、真ん中というモノがなくなってきていたそうで。

最近だったら更に顕著だよね、きっと。



お母さんの役割って、その子を承認することにあるはずなのに
お母さん自身が、誰かの決めたスタンダードに振り回されて疲弊してしまっている。
子どもじゃなくて、スタンダードを見てしまっている。

何故かみんなで新幹線目指しちゃってるよね。

あ、責めてるんじゃなくてね。
当たり前みたいに新幹線目指してるよなぁと。
(自分も含めて)


大事なことは2つ
「自分たちのスタンダードを見つけること」
そして
「助けてもらうこと」

助けてもらう、って言っても
できないことを助けてもらうんだけど
一方的に助けてもらいっぱなしになるんじゃなくて
できることで逆に相手も助けてあげることも大事で。

助けてもらうと、ついそこばかりに目が向いてしまうけれど
実は誰かを助けてあげている。
そこをしっかり見ることが大事だと。

助け合う子育て
助け合う教育

それがスタンダードな社会であって欲しいと思った。

来月は第2土曜日じゃなくて
ばなな先生のお誕生日に開催するよ!

(↑お申込みはこちら)

テーマはお母さん。
心軽くなること間違いない。


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