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正しさよりも大切なもの
密かに大ファンなnoterたいたいさん。
久々に(ごめんなさい…大ファンなのにw)訪問してめっちゃ共感したのでシェアを。
なんか、すごいわかるなぁと。
子どもの頃の「ただただそういう人」という感覚。
フラットでジャッジのない視点。
違いを受け入れる寛容さ。
こうやって書くと、なんかすごい壮大なカンジがしちゃうんだけど
それがフツーに当たり前にできてたんだよね。
日常の中に当たり前にあるものだった。
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だけど大人になるに連れて
忘れちゃうというか。
世界が広がる分
比較もできるようになるし
いろいろな知識が入ることで
頭で考えるようになって
「こうするべき」
「こうあるべき」
みたいになってくるからだろうか。
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たいたいさんも仰ってたけど
声高に叫ぶことは悪いことじゃない。
そうなのよ。間違いじゃないし大事なことなのよ。
だけど、私の中になんとなくある違和感。
読み終えた後、これなんだろうなぁって考えて気づいた。
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多様性、多様性って、声高に叫ぶ時
そこには「正しさ」がついてくる。
勿論それは正しいことなんだけど。
でも
「正しいから」
って理由で受け入れるのって
なんか違う気がする。
少なくとも私の中では。
もっとナチュラルに
もっと当たり前に
それは
「正しさ」より「優しさ」に近いような。
助け合うとか認め合うとか
そういうのって
人間がそもそも持ってる
優しさから生まれるものなんだと思うから。
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てか
みんな昔は子どもだったわけで。
忘れちゃってるけど
必ずどこかに
その優しさの欠片みたいなのはあるから
それを思い出していけばいい。
基本性善説で生きているので
そんなふうに思うのです。
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余談ですが
たいたいさんのこの記事の
寝ぼけて書いたメモがツボりすぎて声出ました(笑)
たいたいさん
これからも楽しみにしてます♪
子育て相談会やります
私は10日と15日担当です。
10日一緒に担当するなかやんは不登校のエキスパート(現役)
15日一緒に担当するひろみ女将はお孫ちゃんもいる(ようには全然見えない!)子育ての大先輩
2人とも頼もしいし、楽しいです(笑)
話しに来てくださいね^ ^
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