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映画「PERFECT DAYS」を観て感じたこと

先日、年末からずっと観たいと思っていた「PERFECT DAYS」をようやく観てきました。自分は特別映画好きでもないし、これまで業務以外で文章などは書いたことないのですが、今の自分がこの映画に惹かれたのには訳があるし、これからを生きる上で大事にしたい、忘れずに持っていたい感覚や改めての気づきがあったので、記録として残しておきたいと思いました。
※ネタバレ含みます

全体の感想としては、静かでやさしい映画。役所広司演じる主人公”平山”は約120分間を通してセリフは数える程。隣で観ていたおばちゃんグループは、上映が終わるや否や、皆「退屈で眠っちゃったわ」的な話で盛り上がっていたww

映画はエンドロールが流れた後、風に揺れる木々の隙間からやさしく差し込む陽光、木漏れ日(Komorebi)についての解説で幕を閉じる。大体だけどこんな意味合いだったと思う。

”木漏れ日(Komorebi)”
樹木の枝葉の間からさし込む日光。
その光はその時だけのもので同じものは存在しない。

隣のおばちゃんグループの感想には全く共感できない。でも僕とおばちゃん達でこの作品の評価がここまで違うその状況こそ、この映画が伝えたいことの一つなのかもしれないと思ったのだ。

変化のない日々を送るトイレ清掃員、平山の日常。一般的な映画に良くある伏線回収やドラマチックな展開はほぼないに等しい。
常に成長・変化が求められる現代において、あまりに静かで平凡で退屈だと思う人(おばちゃん達)がいるのも理解できる。(きっとおばちゃん達はシンプルに役所広司が見たかったのだろう)

何もかもが簡単に手に入り、日々物や情報で溢れかえっている超刺激的な現代。今がそれなりに満たされている人達(体調を崩す以前の自分も含め)にとって、日々自分の身の回りで起きている自然の変化は、あまりに平凡で、非主張的で、全く物足りないものなのかもしれない。

僕はたまたま2年前に体調を崩してしまい、そこから散歩とカメラが趣味になっていたので、ヴィム・ベンダース監督が本作で映し出す日常の風景や光と影をいつも探し歩くようになっていたし、それが当時弱っていた自分の心身をやさしく掬い上げてくれた掛け替えのないものであることも実感できていた。
これまで自然が時より見せる飾り気のない美しさに、様々な感情が溢れて涙腺が何度緩んだことか…(歳?)だから自分はこの作品に心から共感することができたのだろう。

作品の中でも、日々変化していく現代の"日常"と、平山が過ごす古き良き"日常"は、それぞれ別の世界のように表現されていた。僕はどちらの世界の素晴らしさもそれなりに経験してきた(この辺は追々綴っていこうと思います)ので、分断・二極化されていくことへの寂しさは正直ある。

けどそれが現実でもあるから、それについては無視も過大視もしない。

ただ、作中の主人公”平山”の行動・生き方から、自分が共感できたこと。改めて大事だな、大切だな、真似したいな、と思ったことは素直に実践していきたいと思った。

  • 日々のルーティンを持つこと

  • 日常の小さな変化を楽しめる心を持つこと

  • 心に(目の前の困っている人に手を差し伸べられる程度の)ゆとりを持つこと

  • 他人と(自分が心地よいと思える程度の)程良い距離感を保つこと

  • 趣味を日常に組み込むこと

などなど。

あと、パーフェクトデイズを語る上で欠かせない”平山”がセレクトする音楽。映画音楽は映像とセット(シチュエーション大事)だからこそだと思うので深くは語らないけれど、個人的に作中で特に印象深かった音楽を貼っておく(雑)
ヴィム・ベンダース監督の美しい映像、静かな世界観にマッチしていて沁みた。今度首都高を走る時はこれらを聴いて、勝手に平山になった気分で浸りたいな(同席している家族はなんのこっちゃだと思うけど)

とりあえず、こんな感じで初投稿。
つらつらと、とりとめなく書いてみました(これがnoteの良さだとも思っているので)

古き良き感覚を忘れることなく、人と程よい距離感で付き合いながら、現代のテクノロジーをうまく活用して生きていきたい。当たり前のようにも思えるけれど、簡単なように聞こえるけれど、これがまた難しい。

僕には家庭もあるし平山のレベルまで潔く達観することはできない。でも、そんなおいしいとこ取りな日々が過ごせたら、平凡でもきっと幸せなんだと思う今日この頃です。それではまた。

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