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「自律」+「他律」=「合律」の世界で輝くということ

50歳になる前、もっと自分本位に生きてみたいと思って、断捨離を始めました。モノをガンガン減らして、一部屋で仕事をし、寝泊まりしてみようと考えました。通訳の仕事も自分が進みたい方向性をお付き合いのある通訳会社に伝えて、ある程度わがままを聴いてもらっています。

また、夫も息子もそんな私の指向を理解してくれて、各々の世界で好きなように生きているように思えます。在宅が多い夫の部屋は見事に趣味のギターが博物館のように展示されていますし、息子はドッジボールをやっていた時に「スカウト」された野球チームで練習したり、そこで作ってきたお友達と楽しく遊んでいます。周りで主流になりつつある中受はするっと受け流しています。これ「自律」ですね。

ただ、『人間』ですもの。往々にして人のニーズを組んだ動き方もするものです。私は頼まれた仕事は基本断らないですし、無駄は嫌いだけど自分の生業を理解している主人は、夜のテレカンをいといません。息子も塾に通ったり、お付き合いで野球の練習を頑張る時もあります。

私に至っては、通訳や講師のお仕事自体が他人本位の塊であって、お客様に利があってこそ、自分に存在価値が生まれます。これ「他律」です。

そして、そんなある意味「他律」の要素が強い生き方は、私の趣味にも反映されているような気がします。

最近トランペットを断捨離した直後に、昔のビッグバンドの友人から連絡を受けました。恩師が心臓の手術を受けたから、元気なうちに会っておくようにと言われ、なぜかその再会は、先生のビッグバンドを見学する格好で実現しました。

先生のビッグバンドは、退職後のセカンドライフを楽しむ方々が多くを占め、そのためか高音をバリバリ出さないといけないトランペットが不在のバンドもあり、手術を受けた直後の先生がトランペットを埋め合わせる形で吹いている姿が見受けられました。

私は最近発音改善のためにジャズボーカルのレッスンを受け始めたため、「ボーカルで呼んでください」と半ば冗談で言ったら、「ぜひ来て」とおっしゃるので、ホイホイと行くと「合間にトランペット吹きましょう♪」と練習用に先生のトランペットを渡され、わけがわからないまま、トランペットを持って帰る羽目になりました。

10年位吹いていなかったのだから、音が出るはずもない、と戸惑いながら低音から練習を再開すると、小学校から高校まで9年間練習を続けていただけあり、意外と唇が音を出すことを覚えていることに嬉しい驚きを覚えました。

その嬉しさに後押しされ、先生から渡された教本で通訳の合間に1カ月基礎練習をしました。その後、無事オーディションに合格し??金曜日のトランペット不在のバンドに割り当てられました。

何しろトランペットが他にいないので、すべてファーストの楽譜を渡され、2時間ずっと高音を出す作業は正直きついです。でも、そこに存在しなかったトランペットの音を埋められるのがうれしくて、へたくそなりにも音を乗せてみました。

初回楽譜を渡された時は手も足も口も?出なかったのが、やはりそこから1か月、正確に言うと通訳などで忙しかったので、1週間ほど集中的にスタジオで自主練を重ねることで、昨日参加した練習では、少しでも役割を果たすことができて、心の中で少しガッツポーズ✊✨

隣のベテランのトロンボーンの方にも「今日は音がかなり出てましたね。相当練習されたんですね。」と励まされ、昨日は胸を撫で下ろして帰宅しました。

「自律」と「他律」という文字を検索すると、「合律」という言葉が見つかります。以下にその説明をした記事を載せておきますが、まさにオーケストラやビッグバンドはこの「合律」の世界で、その「合律」の世界でこそ、自分が一番輝けるのかなと思う今日この頃です。

ちなみに、「合律」を裏付けるかのように、私が小学校の卒業アルバムに書いた「将来なりたい自分」には「トランぺッターか主婦」と書いてありました😆

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