見出し画像

お願いだからしなないで【後編】

精神科への受診は、正直わたしは不安もありました。
やたらと薬を投与されないか。依存性のある薬しか無いんじゃないか。これは本当に妹を救える手段なのか・・・と、自問自答しながらも、産後うつのことを調べていた時に目にした、「家族では、産後うつを治すことはできません」というキャッチフレーズを、頭の中で繰り返し自分に言い聞かせていました。

「前向きな気持ちを持てるわたしはどこへ行ってしまったの?」と、嘆く妹に、「ホルモンのせいだよ。ホルモンのせいで後ろ向きにしか考えられなくなってるの。治療すれば治るよ。大丈夫。」と。
「負担をかけて、あなたまでわたしみたいになったらどうしよう。」と不安に襲われている妹時には、「わたしは子育て3人目だよ!余裕だよ。しかも、ひとりじゃなくあなたと2人で協力してやってるでしょ?わたしはうつにならないよ。大丈夫。」と。
「もしうつなら、早く治さないと。みんなに迷惑をかけてる。消えてなくなりたい。」と、繰り返す時には、「子育ては元々一人きりで出来るものじゃないよ。治すのも焦らないで。何ヶ月かかっても大丈夫!何年かかってもいいよ。一緒に乗り越えよう。」と、伝え続けました。

そして、やっと訪れた精神科受診日。妹は旦那さんと一緒に受診しました。
そして、産後うつとの診断を受け、まずは「質の良い睡眠をとること」が
最優先事項だとのことで、依存性の全く無い神経を和らげるためだけの
薬を使ってみることになりました。

薬は寝る前に服用し、その後12時間は念のため授乳禁止。夜はぐっすり眠って、昼間はたっぷりおっぱいをあげる。午前中はなるべくお日様を浴びる
(セロトニン分泌を促すため)。それをまず2週間、お姉さんと続けてみること。と、先生からアドバイスがあったそうです。さっそく、その日の夜から投薬を開始しました。

画像1

投薬を開始してから3日間、あまり変化はありませんでした。「びっくりするほど眠くなるはず」と、先生に言われたそうですが、とてもそうは見えませんでした。妹は、一応夜間眠っているものの、赤ちゃんの「ふぇ」という
ごくごく小さな声でも目を開きました。

しかし、投薬から4日目、妹は些細な音で目を開くものの、翌朝「また起きてたね」と言うと「え?ほんと?覚えてない。」と、言うようになりました。神経和らいできてる〜!!と、感じました。

それと同時に、日中、気持ちが落ちることもなくなりました。毎日少しずつ笑顔も増え、記憶力低下も軽減し、集中力も戻ってきました。睡眠の大切さを痛感しました。同時に、食欲も湧いてきました。

午前中は赤ちゃんを連れて、お店まで散歩に行き、お菓子を買ってきたりするようになりました。実は、この時妹は、【赤ちゃんと二人きりになる恐怖】を、克服したい一心で、頑張って散歩へ行っていたそうです。

またいつ謎の闇に襲われるかわからない。しかもその闇は、赤ちゃんの泣き声で発動することもある。でも、克服しなきゃ!負けられない!と、必死だったと言います。わたしの負担を少しでも減らそうと頑張っていたのもあると思います。

夜間の赤ちゃんのお世話を担当していたわたしの寝不足を解消しようと、たくさんの人が助っ人に来てくれました。妹の旦那さんの仕事が休みの日は、妹は赤ちゃんと自宅に戻ったりもしました。連続でたっぷりと寝られた日の
翌日の妹は、表情がとても明るかったのが印象的です。「頭がスッキリしてる。自分がおかしくないってわかる。」と、言っていました。妹はどんどん元気になっていきました。

そして、投薬開始から2週間後。2度目の精神科受診日。わたしと妹で受診しました。先生は「見違えたね!」と言いました。妹からこの2週間の様子を聞き、わたしから見てどうだったかも聞かれました。
本来、子どもを産んだばかりのお母さんは、「どんなことにも動じなくなるホルモン」が分泌されるそうです。そのため、産後に不安定になっている場合は、産後うつを疑っても良いのだそうです。念のため授乳禁止にされていた時間帯も、赤ちゃんの様子に変化がなかったことで、もう大丈夫だろうと言うことになり一日中授乳解禁となりました。

それから間もなく、妹は自宅へ戻りました。でも、疲れが溜まってくると
わたしの家に泊まり、夜間はミルクにしました。わたしが妹の家に泊まりに行くこともありました。焦って完治させようとして、薬を無理にやめて、また気持ちが落ち込んでしまったりした日もありました。

紆余曲折ありながら、わたしが妹に会うのも、毎日から2日に一回になり、3日に一回になり、4日に一回になりと減っていきました。

そして、ある日妹は、薬を飲み忘れた日がありました。それでも気持ちが落ちることはありませんでした。そして、11月中旬「もう大丈夫ですね。治療はここで終了しましょう。」と、精神科の先生に言われ完治となりました。

通いはじめた頃は、「薬はいつまで続くのかな」「本当に治るのかな」と、待ち合い室で不安ばかり口にしていた妹でしたが、完治と言われた日は、2人であーだこーだと冗談を言って、待ち合い室で大笑いしていました。明らかに、あの頃の様子と違っていました。

わたしが思っていたよりも、ずっと早く完治となりましたが、現在も妹は、月に一度我が家へ泊りに来て、息抜き日を作っています。しかし、妹は今でも、闇に襲われた時の恐ろしさと、子どもの泣き声を恐怖に感じてしまう感覚を鮮明に思い出し、「また来るかも」と、不安になる瞬間はあるそうです。いつか忘れるのか、これからもずっと忘れないのか、それはわかりません。妹の味わった苦しさは、妹にしかわかりません。でも、もしまた「それ」が来ても、家族みんなで乗り越えようと思います。

妹は、わたしの「何年かかってもいいよ」の言葉に、「生きてていんだ」と思ったそうです。

たまに、うつで苦しんでいる人に、「気持ちの持ちようだよ!」とか、「そんなこと思わずに前向きに考えなさい!」という人がいますが、「うつ」の状態というのは、そもそも前向きに物事を考えられる状態ではなくなることで、心の持ちようを自分でコントロールできなくなっているから「うつ」なのです。良かれと思って言った言葉が、うつと戦っている本人の状態を否定してしまっては意味がありません。その時の現状をそのまま受け止め、ただただ一緒にいること。きっとよくなるよ、安心安全だよと、声をかけ続け寄り添って生活すること。これが、うつに苦しむ大切な人を救えるかもしれない、一番の近道ではないかと思います。

コロナの影響で、人に会うことをためらっている人がたくさんいます。しかし、こんな時だからこそ、人に会わなければ危険な状況になってしまう人もたくさんいるはずです。「会う」ことの大切さを、改めて実感する今日この頃。大切な人が、今日も生きていてくれていることに感謝して・・・。明日も生きていてくれますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?