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音楽の夏

暑い日が続きます。
この夏は良い音楽の現場に遭遇することができてうれしい日々です。

お盆は毎年恒例の阿波踊りへ。
太鼓や鉦の二拍子のリズム、三味線や笛と人々の声、徳島市街のストリートに溢れるぞめきの音に浸り歩く時間は、10年近く通い続けた今も特別なものです。

余談ですが「音楽」という言葉の語源は中国の『呂氏春秋』という書にさかのぼるそうです。
「音」とは人が物事に触れて心が動き、それらが声となって文をなしたものを、「楽」とはその音に舞がともなう状態を指す、というようなことを大学の授業で学んだ記憶があります。うろおぼえですが。
阿波踊りを見に行くたびに、大学のこの授業を思い出すのです。

阿波踊りの余韻とともに大阪へ。
ずっと聴きたかった威力さんのDJにぶっとばされました。
くらいすぎて夜ふかしする余裕もなく、一滴もお酒を呑むこともなく、ネカフェの個室で朝まで気絶してしまうほどに。

ちょっとその体験が尾を引いて、高知に戻ってからもお酒を呑むのをやめてみました。
調子が良い。

8月後半は友達から教えてもらったラッパーのライブに。
イベント自体は前から知っていたんだけれど、あまり気が進まず前日まで行く気0でしたが、教えてもらった動画を見て急遽行くことを決めました。
志人さんの言葉が本当に美しすぎてかっこよくて、泣いてしまった。
日本語の響きのうつくしさとか言葉の持つ強さを、ばしゃーんと浴びたような気持ち。
行って良かったです。

ライブを経て辿り着いた西の海
波をばしゃーんと浴びて思い出し泣きするなど

ライブは本当にすごい体験だとあらためて思います。
アーティストのパフォーマンスはもちろん、その場に集まる人々の熱気とか、場所の持つ空気感とか。
空気の震えをダイレクトに肌で感じることのとうとさ。
何百年と受け継がれてきた音色がいまここで再び発せられる瞬間に、生まれたてほやほやの産声のような即興のセッションの瞬間に、これからもずっと出くわしていきたい。

朝晩が涼しくなってきたのでよく歩いています。
最近は一日大体10㎞を目安に歩いていて、おかげさまで真っ黒になりました。
散歩のときに聴く曲、いまは大体このあたり。

暑さが厳しい日中にはピアノを弾きます。
散歩のときにも聴いているちいかわの「ひとりごつ」をピアノで弾きたくて、耳コピで鍵盤におこしたり、耳コピでは物足りず楽譜におこしたり。
だからなに?
楽しいです。
冒頭での「音楽」の語源にまつわる話の続きになりますが、日本で「音楽」という言葉が使われ始めたのは明治時代だそう。musicの訳語として割り振られ、「音」は声を、「楽」は楽器をあらわします。先の『呂氏春秋』における意味とは全く別物として機能しているようです。
耳から聞いた曲を鍵盤や楽譜におこすとき、メロディーやリズムを口ずさむことが多いのですが、この行為も含めて音楽という言葉そのものなのだなあと思います。あらためて。
リスニングやカラオケだけにとどまらない面白さ。

いまは手軽に、それこそ浴びるように音楽が聴けてしまうけれど、楽器を弾いたり歌ったりする時間や、それを生で体感する時間はなにものにも代えがたい。
時間を作って、ああでもないこうでもないと準備をして、音楽の現場に足を運んでいきたいと思う夏です。

一度自分の身体を通した音は、自分自身にとって大きな説得力をもってせまってくる。
音に限らず、あらゆる体験(もちろんヨガも)に共通することだと思います。
この世の終わりみたいな不器用な人間なので時間はかかるけれど、ひとつひとつあじわっていきたいです。
とりとめのない話でした。


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