見出し画像

「言葉の意味」はわからない~相場格言と小沢健二

最近、こんな本を読みました。

趣味程度ですが、少しだけ株を買っていることもあって、勉強の一環として読んだものです。

私の認識では、格言や諺などは、古典と呼ばれる書物群と同じもので、

・多くの人に言われていることであり、
・昔から言われ続けていることであり、
・そのため、時代や状況に左右されない普遍性がある

という性質から、いつでも誰でも役立てることができるのではないかと思ったのです。

このような動機で、言葉を役立てる方法について考えていたのですが、その過程で、言葉の意味の扱いと、言葉の意味を伝えることについて思ったことがあり、それを以下に書いてみたいと思います。

言葉の意味が「わかる」ということ

上記の「株で勝つ! 相場格言400」は、恐らく株をやっていなければ役立てることは出来ないでしょう。
人生訓の一つとして使うという考え方も成り立つでしょうけれど、少なくとも私は、株を買っていなければこの本の内容に興味を持つことはなかったと思っています。

ということは、相場の格言は、とりあえず実際に取引を体験してみれば役立てることができるのか、というと、そういうことでもありません。

売るべし 買うべし 休むべし

これは、良く言われる相場の格言の一つですが、みなさんはどう思われるでしょう?

私は最初にこれを読んだとき、「ふーん」としか思いませんでした。つまり、「辞書的に」意味は理解できるし、「休むのも大事なんだな」程度の認識しかしていなかったのです。

株の値上がりが楽しくて、日がな一日Yahoo!ファイナンスに張り付き、株価に影響する情報を集めては一喜一憂し、皮算用を繰り返しました。
そうしているうちに、心身共に疲弊していることを感じた時、「これは休まないとまずそうだ」と、実感したのです。市場は気まぐれで、我々の望んだ通りには動いてくれないので、株にのめり込みすぎると気持ちが振り回されて辛くなるぞ、と。

その時初めて、前述の格言が「身に沁みた」のです。気持ちを安定させ、感情を動かさずに、などといった心がけだけでも限界がありますから、「休むべし」の警句が含まれていたのだと、理解できたのです。
特に格言や名言の類は、その言葉の使いどころや、使う上での細かな前提条件をも削ぎ落して、抽象的に、シンプルに、最低限の結論しか書いていないものです。むしろ、くどくどと注釈を連ねると、多くの人に煙たがられて、誰の目にも触れることなく忘れ去られたかもしれません。

そうした理解のもとで他の格言にも触れ、さらに、諺や、いくつかの古典を読んで同じような経験をした末に、ようやく気付けた事がありました。

すなわち、

言葉の意味は、読めば辞書的な意味を理解することはできる。
しかし、言葉の本当の意味は、実体験を経るまで「わからない」。
特に、痛い目に遭わないと、ありがたみが「わからない」。
本当の意味が分かった言葉なら、役立てることができる。

偉そうに書いていますけれど、私自身、最近このことに気付けたにすぎません。今も、本当の意味がわかった言葉など、大した数ではないでしょう。

けれど私は、格言のように残された言葉の使い方、言い換えると、それらの用法・容量がつかめたことで、株への向き合い方が変わり、疲弊もせず、利益も得られるようになってきて、「役立てることができている」と言える状態になったと思っています。

そしてこれは、株だけではなく、広く「意思決定」と言われる行為全般にも通ずることで、本の読み方、人との接し方、考え方がかなり変わったという自覚があります。

これが良いことなのかどうかは判断できませんが、少なくとも以前よりも、言葉に振り回されて疲れることはなくなり、ずいぶん楽になりました。

言葉の意味が「伝わる」ということ

ここまで、言葉を役立てることについて、そして意味が「わかる」とはどういうことなのかについて、書いてきました。

いわゆる「ありがたい言葉」全般がそうで、死ぬまで本当の意味を理解できないままでいるものも多いのだろうと思っています。

そしてこのことは、私たちの言葉が如何に伝わらないかを物語っているとも、同時に思うのです。なにしろ、先人たちが残してきた言葉が私たちに伝わっていないのですから、況や現代に生きる我々をや、です。

辞書的に意味をとらえることは出来ても、同じ実感とありがたみを持って、相手の言葉を理解できるかというと、きっと出来ないのでしょう。少なくとも私には出来ません。

自分の言葉が相手に伝わらないのと同様、きっと相手の言葉の意味もわかってあげられないのだという、その制約を認識して、相手の言葉の意味を知ろうと努める以上に、出来ることはないのです。

なぜなら、誰もが全く同じ経験を共有しているわけではないですし、どんなに技術が進歩しても、そんなことは出来ないでしょうから。

それでもなお、私たちは他者に何かを伝えようとすることに血道を上げる生き物です。そうすることが、私たちにとって多くの成果をもたらすからでしょう。

ちなみに、言葉を伝える目的は人それぞれですが、少なくとも私はこの文章を、誰かに共感してほしくて書いています。ただ言葉に共感されることが嬉しい、という動機があったっていいじゃないかと、私は思います。


きっと魔法のトンネルの先
君と僕の言葉を愛す人がいる
本当の心は 本当の心へと 届く

小沢健二「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」


多くの言葉はきっと、伝わらないまま終わるのでしょう。

だからこそ、ほんの少しでも「本当の心」が伝わる人に出会ってみたいと、心から願っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?