junaida『の』(福音館書店)を読む。

  ここ最近、小説をあまり読まなくなった。
  時間がないのを言い訳にして読書量が減ったことを正当化しながら怠けていたっていうのもある。でも、もっと根本的に小説を楽しめなくなっている自分もいた。

  私が小説に求めるものは「トリップ感」だ。私の知らない、誰も知らない世界にいざなってくれるような感覚。まさに『檸檬』の主人公が京都にいながら東北の地にいることを妄想するような、あの浮遊感というか流離感というか。とにかくここではないどこかへ連れて行ってくれるような小説が読みたい。
  でも、なんだか現代の小説の中にそれを実現してくれるものが少なくなったし、私もそういう位置付けで小説が読めなくなっていった。私が敬愛する小川洋子や山田詠美は、いつも私をどこかへ連れて行ってくれた。日常の隣にあるけど非日常で、グロテスクで、妖艶で、幻想的な世界。小川洋子で言えば『ミーナの行進』や『猫を抱いて象と泳ぐ』、山田詠美だったら『アニマル・ロジック』や『ぼくは勉強ができない』など。どれも刺激的で、官能的だった。

  でも、いつのまにか、それらの「外部」は「内部」となり、知らない場所ではなくなってしまった。『つみびと』も、『琥珀のまたたき』も、既視感に溢れていた。
  そもそも最近の小説の潮流は、「トリップ」というより「あるある」の世界を描いているものが多い。ついったーで人気を博すコミックエッセイも、みんなが経験するふとした幸福や、みんなが抱いている憎悪だったり不公平感をデフォルメして可視化する営みだ。ラノベ界を席巻する「異世界もの」も、異世界に現実の価値観を投影するものが多く、幻想をより卑近なものにする。どちらかといえば、フィクションよりも学術書の方がも、私を別の世界に連れて行ってくれた。ここ最近は新書ばかり読んでいる。

  もちろん、共有すべき記憶を可視化して共有する営みは大切だ。そうして連帯感を醸成し、世論を形成し続ける機能はなくしてはいけない。
  ただ、小説に求めるものは共感だけではない。突き放された感覚、置いていかれる感覚、どこかに飛ばされる感覚も求めてしまう。それは、ドラッグと一緒で、快楽と同時に依存ももたらすのだけど。

  そしてこの私の失望の原因は私にある。流離感を得られる小説は現代にも絶対にあるはずだし、社会的評価を得ているものも必ず存在する。私がその作品を見つける努力を怠っているだけだ。

  そんな失意の中、1冊の本に出会う。
  junaidaの『の』(福音館書店)という絵本だ。
  この絵本の中には私が書物のフィクションに求める全てが詰め込まれていた。

  物語はひとりの少女から始まる。少女は真っ赤なコートを着ている。そのコートのポケットの中にはお城が入っている。そのお城の一番見晴らしの良い部屋には王様の大きなベッドがある。そのベッドにはおもちゃの船がある。その船には乗組員がいて、海の向こうの灯台を目指す。その灯台のてっぺんにサーカスのテントがある。そこで人気なピエロの耳にはひとりの小人が座っていて…。

  というように、どんどん新しい世界に没入していく。視点はクローズアップを続け、入っていけばいくほど別の世界へと移動していく。この旅の中で得られる流離感はとてつもなく大きい。
  まず、なによりもこの旅が「地続き」であることが没入感を上げている。少女がいる世界と、少女のポケットの中のお城は、別の世界のようではあるが、同じ空間、同じ世界にあるはずだ。越境しているような感覚に加えて、世界の広さを読者は味わうことになる。「どこまで連れていかれるのか」というただならぬ不安と「どこまで連れて行ってくれるのだろう」という大きな期待が表裏一体となって心を満たす。

   さらに、右ページが白紙に左ページに世界が描かれる、という構成になっていて、ページをめくるたびに新しい世界が提示される。それは同時に、ページをめくる直前まで「次はどんな世界があるのか」という期待を増幅させる効果を持つ。そして、実際にページを手でめくることで、新しい世界へと飛躍する。この「実際に手でめくる」という紙媒体特有の身体行為によって、この物語の魅力はぐっと高まるのだ。この魅力は、映像メディアや電子媒体では引き出しきれない。
  早くページをめくって新しい世界に行きたい。でも、どんな世界が待っているのかわからない。読み進めることで、この旅が終わってほしくない。そんな感情がないまぜになりながら、ゆっくりと1ページずつ手繰っていく。これこそ読書の楽しみだ。

  Junaidaの独特な風味を持つ画風も素晴らしい。ノスタルジックで、ロマンチックで、それでいて精密で写実的で、その写実性によってかえって幻想性が増す。その絵が描いていく世界観も、唯一無二で、驚きと感動が波状攻撃のように押し寄せる。こんな読書体験ができるんだ、と読み終わったときに実感できた。

  加えて、この出会いができたのは他ならぬ私の子どもたちのおかげだ。彼らがいなければ、絵本の世界に出会うことはなかったし、こんな素晴らしい読書体験もできなかった。
  家族は、私に新しい世界を提示してくれる。そのことに感謝しながら、また読み返したい一冊となった。

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