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どうして私が古典好きに!? ー『土佐日記』の授業

『土佐日記』との出会い

 正直、高校時代は古典という分野が好きではなかった。
 積極的に嫌いになれるほど本腰をいれて勉強したわけでもないし、だからといって全くできなかったわけではない。でも、何を学んだかは今となっては覚えていない。『源氏』の須磨の巻を読んだ気がするが、琴線に触れたわけでもない。古典はあくまで受験科目でしかなかった。こんなふしだらな態度は大学に入っても引き継がれ、学部生時代は古典なんてろくに勉強しなかった(中古文学の演習も履修するのを回避し続けていたら4年生のときに履修する羽目になった。しかもひどい授業態度だった)。

 古典と初めて正面から向き合ったのは教員になってからだった。向き合ったというか、向き合わざるを得なかったというべきか。とにかく人に古典を教える羽目になったから勉強しなければならなくなった。つくづく不真面目な人間である。
 
 しかし不思議なもので嫌々ながらやってみるとその深みに嵌まっていくものである。
 特に大きな収穫となったのは文法学習の楽しさに気がついたことだろう。
 文法なんて味気ないものだと思っていたけど、文法規則を勉強すればするほど読みが深まっていく。なぜここは下二段の動詞を使うのか。ここで敬語が使われていないのはなぜ? 「けり」ではなく「き」が使われていることによる表現上の効果は?など、文法を深掘りすればするほど、深く、そして多様な解釈に繋がっていくことにだんだんと気づいていった。

 よく受験用の古典と豊かな古典解釈は相反するということも耳にするが、私は違うと思っている。受験古典と豊かな古典解釈は両立できる。もっといえば相互補完関係にあるとも言える。

 こんなことをやっと考え始めたところで出会ったのが紀貫之『土佐日記』である。現在の指導要領下においては国語総合で取り扱われることが多い。よって高校1年次にこのテクストと出会うことになる。確かに「なり」の識別などの助動詞の基本を押さえるという意義もあるが、このテクストの持つ「深み」には凄いものがある。

なぜ「あざれ合へ」るのか

 女性仮託の話は最後にするとして、「門出」で掛詞を使って表現されている「あざれ合へり」の場面から思い起こしてみる。なぜ門出のどんちゃん騒ぎを描く必要があったのか。この疑問はこの門出の場面だけでは解釈することはできない。この『土佐日記』に通底している「娘の死」というテーマと照らし合わせる必要がある。
 多くの教科書に収録されている「忘れ貝」や「帰京」の部分を読めば、この日記の主題は娘の死であるということがわかる。船人に群がる子どもたちの騒ぐ声と、生きて帰らなかった娘の沈黙という対比。命が失われた娘と、新しく芽生えた小さい松という対比を使って非常に効果的に娘の死に対する悲しみが表現されている。
 この「娘の死に対する悲しみ」と「門出」の場面がどう繋がるのか。
 任国土佐の人々も紀貫之が娘を亡くしたことは知っていた。その悲しみを打ち消すようにあのようなどんちゃん騒ぎを企てたのではないか。ただ華やかな場面ではなく、その底にも静かな娘に対する愛惜の念があったに違いない。人々の明るい声の裏側には、悲しい涙があったはず。しかもそんな悲しみを掛詞の遊戯性で巧妙に隠蔽する。しかし、隠蔽しようとすればするほど悲しみは際立っていく。冒頭の明るさ、軽妙さが逆説的に悲しみ、悲壮感を引き立てているのである。そう読むと、冒頭の「門出」をより深く鑑賞することができる。

助動詞に着目した古典解釈

 助動詞に着目して解釈してみると、『土佐日記』における「演技性」に気づくこともできる。
 「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」というあまりにも有名な冒頭。前半の「なる」という言葉は伝聞・推定を表す「なり」であるが、なぜここで伝聞の助動詞を使う必要があるのか。なぜ「男のする日記」とか「男のものす日記」と、「なり」を使わない表現にしなかったのか。
 これは「女性仮託」という設定の信憑性を保証する効果があると思われる。直接男性が日記を書いている場面を見たのではなく、聞き伝えで男が日記を書いているということを聞いたとする方が、その当時の女性の周縁性が表現できる。これは近代文学がいかに「私」という存在の信憑性を保証することに苦心したかということにも通ずるかもしれない。語る「私」(『土佐』においては語る「女」)の信憑性を高めるためにこの伝聞推定の助動詞を使って女をうまく演じたと考えられる。

女性仮託の意義

 最後に、女性仮託について一つだけ。
 この女性仮託はただ「女性」という性別を演じただけではない。これは女性が帯びていた(おしつけられていた)「私的」な姿を演じていたのである。さらに言えば「「私的」である女性が「公的」である男性を演じること」を演じているのである。これは現代のフェミニズム的な行為ではなく、むしろ私的であった「仮名文字」を公的な、政治的な道具に引き上げるためのプロパガンダの一種であったと考えられる。「仮名」を「真名」にする、一種の政治運動である。
 言うまでもなく、紀貫之は『古今集』の中心的編者であり、「仮名文字」と政治性との関係を司る第一人者だった。そのあとの日本文学史を見れば明らかだが、仮名文字が平安貴族社会の世界を席巻していく。仮名文字で編まれる和歌は貴族の重要なコミュニケーションツールとして機能し始める。貫之が先導した仮名文字の政治化は見事成功したと言ってもいいだろう。
 そう考えれば、末尾の「疾く破りてむ」という表現も演技ではなかったか。強意の助動詞「つ」をわざわざ使ってまで「はやく破ってしまおう」と強調したのは、むしろ「残ってほしい」という願望の逆説的な表現だったのではないか。

おわりに

 まさか自分がここまで深く古典文学と向き合う日が来るとは夢にも思っていなかった。なんとなく短い文章にするつもりだったのに、気がつけばこの記事も2,500字を超えている(こんな長い雑文誰が読むの)。古典文学のおもしろさ、解釈の深さに気づかせてくれたのはこの『土佐日記』だった。このテクストを授業で直接扱ったのはもう3年も前になるが、そのときの興奮は記憶に鮮明に残っている。

 『土佐日記』の授業をするにあたっては前の勤務校のM先生の影響が非常に大きかった。とくに「あざる」の場面の解釈はM先生のものを丸々拝借している。いつもは冗談ばかり言って若手の私は翻弄されつづけていたが、深い古典知識に裏付けられた的確な読みを展開するM先生の姿にはいつも感銘を受けっぱなしだった。M先生にも改めて謝辞を述べたい。

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