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引っ越し 〜転勤族の妻のはじまり〜

今回は、結婚に伴って引っ越した話です。

引っ越しの経緯

結婚前は、お互い一人暮らしだった。
どちらかの家に二人で住むには狭いので、自然な流れとして引っ越すことに。

部屋探し

結婚して初めての新居探し、のはずなのにあまり覚えていないのはどうしてだろう。

夫に聞いてみたら、一緒に不動産会社にいったとのこと。
そう言われて初めて、あぁ、そうだったとその時の光景がよみがえる。

場所にこだわりのない私に対して、職場から徒歩圏がいいという夫の意見で、夫がそのとき住んでいた場所の近くで探した。

それが東京に隣接した埼玉県のとある市。

場所的なことで私が希望したのは、駅から近いところ、ぐらいだった(と思う)
でも当時私が住んでいた場所よりは、開けた駅だったため、駅に近い物件はあまりなかった。

いくつか部屋をみた結果、ここがいい!という物件はなかったものの、ここはなー、と思うところと、ここなら、と思うところはだいたい夫と同じ意見で、最終的に、「ここなら」という物件になった。

駅からの距離は遠くなったし、夫は徒歩圏ながら歩く距離が長くなった。

そんな物件だったけど、結局そこに決めたのは、結婚前から、夫の仕事の都合で、そのうち引っ越すことになるかもしれない、というのがあったためだと思う。

どんな家に住むかより、二人で生活を始めることのほうが大事だった。

だから記憶にあまりないのかもしれない。

引っ越し

当時住んでいたところで何度か更新を繰り返し、部屋も一人暮らしを始めた頃よりは広くなっていたせいか、荷物もなんだか増えていた。

引越し前に、ベッドなんかの大きなものはいくつか処分したものの、仕事も忙しく、荷造りがなかなか終わらなくて、夜遅くまで箱詰めすること数日。

インターネットで「よい荷物の詰め方」みたいなのを検索して、引越し業者からサービスされたダンボールにせっせと詰めていった。

なぜその業者を選んだのか忘れたけれど、事前に手配されたダンボールはマンション1階に(オートロックだったから?)放置されていたり、それは自分のものかと念の為確認の電話を入れたら、たしかに私のために用意されたものだったということなのだけど、数日後にまたダンボールが届けられたり、なんとなく不安になる業者だった。

それでも、間違って届けられたと思われるダンボールはそのまま使っていいと言われ、おかげで予想以上に多かった荷物も無事に箱詰めでき(当初予定では足りなかった)、引越し当日来た業者の人には、「ダンボールの使い方が上手」と褒められ、最終的に無事に引っ越しできて一安心。

あまりの荷物の多さに、新居の一部屋が私の荷物で埋め尽くされ、夫が唖然としていたのが記憶に残る。

夫の荷物はといえば、近所だったこともありほとんどを自分で運んでしまえるぐらいの量だった。

その後の生活

引っ越してしばらくの間は、結婚式の準備で忙しかった、気がする。
(入籍とほぼ同時に引っ越して、式は式場とかの手配の関係で後になった)
あれこれ相談するのに、式をする前に一緒に住み始めていてよかった、と思った記憶はある。

結婚式は色々あって式場探しが大変だったのだけど、お互いが西日本出身だったこともあり、親族を何人も遠方から呼ぶよりは、自分たちがそっちにいくのもありだよね、と最終的に京都になった。(結婚式は親族だけで行った)

式の前に打ち合わせのため、何度も長距離移動。
新幹線の回数券なんて、仕事以外に使うことないと思っていたけれど、2人で使い切った。
打ち合わせのためだけに行くのはもったいないからと、途中下車もしてついでに旅行。金沢や軽井沢にも行ったなー。

そんな感じで週末は準備におわれ、埼玉に引っ越してからも、住んでいる地域でなにかするっていうことは少なかった。

それがちょっと変わったのが、妊娠してから。

結婚式の直前に妊娠していることがわかり、引っ越してから1年たたないうちに出産することになった。

里帰り出産は考えなかった。「里」がどこかよくわからなかったから。でも不安だらけだったので、親に手伝いにきてもらうことにした。

産婦人科は深く考えず、住んでる地域にあるところに通った。地域にはあまり選択肢はなく、個人医院か総合病院か助産院か。
仕事をしていたので土曜日もあいている個人医院に通うことにした。そのままそこで産めればよかったんだけど、分娩は扱わなくなったということで、分娩できる総合病院へ転院。

引っ越してからあまり地元を歩くこともなかったけれど、初めての出産ということもあり、近所の助産院でやってるマタニティヨガにいってみたりして周囲を歩く機会が少しだけ増えた。

子供が生まれたら、検診、予防接種、気になる症状なんかで、病院にいくことも増えた。

隣の部屋に住む人がお子さんが2人いたのだけど、引っ越したばかりのころは、顔を合わせることもほとんどなかったのだけど(あまり家にいなかったからだろうけど)、子供ができてから、顔を合わせると声をかけてくれたり、ものをもらったりと親切にしてくれたことが記憶に残っている。

「地域」の思い出として、病院関係以外にお隣さんが増えた。

でも、それだけ。

子供ができて、仕事は育児休業に入って仕事関係の交流は随分減った。
産前に通ったマタニティヨガでは、それ以上の交流が広がることもなく、出産した病院では、分娩前は個室にしたため、出会う人はほとんどおらず、分娩後は大部屋に移ったものの、子供が色々検査にひっかかり、NICUにはいったりして、心配ごとだらけで他の人と交流する余裕なんてなかった。

退院は、私だけ先になったし、そのうち子供だけじゃなく、私も検査で異常が発見された。

毎日搾乳して、冷凍した母乳を病院まで運ぶ日々が1週間ほど続き、無事子供が退院してからも定期的な子供の通院に加え、自分も通院。

泣き止まない赤ちゃんのお世話と、頻繁な授乳。
どこかで「完全母乳」がいいとか、「紙おむつより布おむつ」がいいとかいう、情報をみて盲信し、何かを考える時間や睡眠時間を削っていた。

それでも、母がいてくれた間は赤ちゃんのお世話だけでよかったし、話し相手がいた。

母が帰ってからは、仕事ばかりしていて、あまりやってこなかった慣れない家事や、初めての育児。

とにかく大変だった。

夫以外の大人と会話することがほぼなくなり、産後のホルモンバランスのくずれもあってか、随分情緒不安定だったと思う。

ほんのスキマ時間にスマホでみるSNSで、先輩ママに助けられたりしていて、結局ネットから離れられない生活だった。

まとめ

子供を産んで、平日昼間に家にいたり地域にいたりすることで、ちょっとはその地域の思い出みたいなのができた。
やっぱり、外に仕事に出て、休みの日はどこかに遊びにいって、では地域のことはわからない。
そして、仕事にいったり、遊びにいったり、ネットしたり、が自由にできる環境で、それでなんとかなっていたから、地域での交流が広まらなかったのかな。

子供ができて、自分の思い通りに動けなくなって初めて、自分がいる場所のまわりのことを知らない、交流がない、ということで結果として情緒不安定になったんだと思う。(当時はそれが理由だとは思っていなかったけど)

いくつかの地を子連れで転々としてわかったことは、地域には子育て支援センターや児童館やら親子を支援する仕組みが色々ある。

知っていれば、ちょっと行って大人と喋ったり、相談したりできて、違ってたんだろうな。
区役所や保健センターで聞けば情報も得られたのに、初めての育児でそもそもそんな場所があるという発想もなかったし、慣れない土地で、どこで誰に聞けばいいのかもわからなかったのだ。

お隣さんともっと交流があれば、教えてもらえたかもしれない。

あのお隣さんは元気にしてるかな。



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