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学習指導要領の「批判的思考」は「批判的思考」ではない?

はじめに

 2021年度には中学、2022年度には高校で学習指導要領が改訂される。様々な場所で議論されているように、「主体的で対話的な深い学び」の推奨・推進を目標に掲げ、「授業改善」を促すのが大きな目的であろう。私が担当する国語科でもその流れは顕著であり、今までの国語教育を強く批判し、新しい国語教育のあり方を普及しようとする書籍が多く出版されている。

 一方で、学習指導要領と共に大きな転換点として文科省が推進した大学入学共通テストは周知のように右往左往し、コロナウィルス感染拡大の影響が相まって、さらに混迷を極めている。新しい共通テストが「主体的で対話的な深い学び」を評価するに値するものなのかも、共通テスト移行後も検討していかなければならない。

 では、この新しい学習指導要領は果たして「主体的で対話的な深い学び」を体現するための道しるべとして本当に機能するのだろうか。この指導要領を読めば、教員と生徒は「深い学び」を身を以て味わうことができるのだろうか。この疑問点を学習指導要領の国語で使われている「批判的」という言葉に着目しながら考えていく。

「批判的思考」とは何か

 まず「批判的思考」という言葉に着目し、その言葉の定義を確認する。ここで株式会社アンドが著した『思考法図鑑』から「批判的思考」の定義を引用する。

「批判的思考(クリティカル・シンキング)」とは、健全な批判精神は持ちながら、物事を論理的に考える思考法です。論理的思考は「結論」と「根拠」を筋道立てて考えるものでした。それは問題解決の場面で必須ですが、前提を誤って設定したり、解釈を間違えたりすると効果を発揮しません。また、そもそもの問題設定を間違えていると、いくら論理的に考えたところで正しいアクションには至りません。
 批判的思考には、このような論理的思考の注意点を補う機能があります。前提は正しいのか、結論と前提は本当につながっているかなど、客観的かつ批判的な目線で思考を行います。なお、ここでいう「批判」は単に否定するだけのネガティブなものではなく、より多面的に、建設的に物事を考えていこうとするためのポジティブなアプローチです。(P.22)
 株式会社アンド『思考法図鑑』(翔泳社)

 こう定義づけた上で、批判的思考の考え方を次の4つの項目に分類している。

①論理を展開する
②論点を疑う
③結論と根拠のつながりを疑う
④前提を疑う
(P.24より抜粋) 引用同上

 この『思考法図鑑』はビジネス向けに作られた書籍であり、具体例も企業における商品企画などが挙げられている。しかし、ここで述べられている「批判的思考」の定義は普遍的なものである。論理の前提を疑うこと、論理の整合性を疑うこと、疑うことで論理的思考を補っていく。批判的思考はビジネスでも教育でも使われるものだ。

 さらに、河野哲也は批判的思考について次のように述べる。

「批判的(critical)」とは、相手の主張を拒否する非難や否定とは異なります。批判的な思考とは、常識や既存の考え方も含めて情報を鵜呑みにすることをやめ、ある考え方の真偽や妥当性をあらためて検討してみる態度のことです(P.89)
 河野哲也『じぶんで考え自分で話せる こどもを育てる哲学レッスン』(河出書房)
 批判的思考とは、それまで理由や根拠を問うことのなかったものに、それらを求めていく姿勢です。(P.91)
 引用同上

 この河野の定義は、先に引用した『思考法図鑑』における「④前提を疑う」の項目に近いだろう。
 河野の言う「批判的思考」とは、論理の整合性を問い直すというよりは、自明の前提となっているものにもう一度目を向け、私たちの思考の根幹を疑ってみるというニュアンスが非常に強い。
 河野の「批判的思考」の特徴は、「創造的思考」や「ケア的思考」に繋がっているという点である。創造的思考は新しいものを作っていく思考、ケア的思考は他者をおもいやる思考のことです。特に「創造的思考」との繋がりが深く、「真の批判は生産的であり、創造的であるのは、真の批判はこれまでにはない問題解決を目指すからです」(P.95)と述べているように、創造的思考を実現するためには、批判的思考によって、それまで自明視されてきたものをもう一度疑う必要がある。批判的思考と創造的思考は相乗的な関係にある。

学習指導要領における「批判的思考」

 ここまで批判的思考の様々な側面を見ながら、批判的思考と創造的思考の関係性について整理してきた。では、学習指導要領における批判的思考はどのように扱われているのだろうか。

 指導要領国語の解説には、「批判的」という言葉が41回使われている。特に、「論理国語」の中で多く使用されている。
「論理国語」の目標として次の項目が設定されている。

(2)  論理的,批判的に考える力を伸ばすとともに,創造的に考える力を養い,他者との関わりの中で伝え合う力を高め,自分の思いや考えを広げたり深めたりすることができるようにする。(太字は論者によるもの)

 上記のように、学習指導要領でも「批判的に考える力」、「創造的に考える力」という文言が使用されている。使用している言葉の上では、河野の言説と共通していると言える。

 では、学習指導要領においては「何を」批判的に考えるのだろうか。解説には次のように記されている。

主張を支える根拠や結論を導く論拠を批判的に検討し,文章や資料の妥
当性や信頼性を吟味して内容を解釈すること。(P.167)
「論理国語 B読むこと ウ」より

「論理国語」の学習内容では、批判的に検討することの目的語としては「根拠」や「論拠」が挙げられている。この他に「批判的」という言葉が使われている箇所を見ても、やはり論拠や根拠を批判的に考えるという文言に止まっている。『思考法図鑑』や河野のように、「自明視されているものを疑う」という説明はなされていない。ここで言われているのは『思考法図鑑』の分類における「③結論と根拠のつながりを疑う」のみである。
 つまり、学習指導要領においては、読んでいる文章は論理的な整合性が取れているか、ということを考えることが「批判的に検討する」ということなのである。論理が適切に繋がっているか、ということだけを批判的に考え、そもそもその論理の前提にあるものを疑ったり、私たちが当たり前と思っていることを疑うという態度、姿勢は学習指導要領に盛り込まれていない。

 この学習内容は、目の前にある文章に閉じこめられた学習なのではないか。書かれている文章の因果関係が正しいかどうかを問うだけでは、そのテクストの外側にあるものとの接続ができなくなる。新しい学習指導要領を賞賛する専門家は、「実用的ではない知識の詰め込み」を厳しく糾弾する。しかし、この内容だけでは、「その文章が読めるようになる」だけで、「その文章を通して社会を眺め、自分たちが当たり前だと思っていたことを疑う」という営みにはたどり着くことはできない。これも「実用的ではない」営みなのではないか。
 『こころ』という文章を読めるようになるのではなく、『こころ』という文章を読むことを通して何らかの知識を培う、ということを実現するためには、そのテクストが書かれた時代的な文脈や、見えにくい現代との違いに目を向け、さらに当たり前だと思っていた現代の問題点を炙りださなければならないだろう。そうするためには、因果関係を見直すだけではなく、河野の述べる「それまで理由や根拠を問うことのなかったものに、それらを求めていく姿勢」が必要なのである。

「批判的思考」の欠如が導く事態

 河野の述べる「批判的思考」が欠如すると、どのような事態に陥るのか。ここで先ほど引用した「論理国語」の目標を見直してみる。

(2)  論理的,批判的に考える力を伸ばすとともに,創造的に考える力を養い,他者との関わりの中で伝え合う力を高め,自分の思いや考えを広げたり深めたりすることができるようにする。

 ただ文章の因果関係を見直すだけの「批判的思考」では、この中で述べられている「創造的に考える力」の育成に繋がりにくくなる。
 先の節で述べたように、「批判的思考」と「創造的思考」は共に相乗関係にあり、「批判的思考」によって当たり前のことを問い直すことで、「創造的思考」、つまり新しいものを生み出す考えに至る。テクストに閉じこもった読解をしても、新しいものの創出には繋がらない。

 現代では、今まで自明視されてきた国民国家的な国籍、男女という性別、階級、心と身などの境界が曖昧になり、「それらの境界は本当に正しいのか」「境界など本当に必要なのか」ということが問われ始めている。これまで引かれてきた境界の中で思考しても、新しい境界や、境界の融合・無化には繋がらない。

 これはただ文章を読むことで自明視されているものを問い直すことができなくなる、という事態には止まらない。本田由紀は社会が抱える様々な重要課題が解決されるには次のようなことが必要であると述べる。

 属性や状況を問わずあらゆる人々が存在を尊重され、基礎的な生活を保障されるとともに、それぞれのアイデアや得意なことを存分に伸ばしたり発揮したりすることができ、適正な報酬を得て、社会全体の基盤基礎と再分配や福祉のための公的財源に寄与するような社会状況を、従来の固定観念や差別的な意識を超えて作り出してゆくことが不可欠である。このような社会のあり方を実現していくために重要なのは、様々に異質な他者を尊重し、新しい発想や挑戦を受け入れ賞賛するような柔軟性である。(P.208 太字は論者によるものである)
 本田由紀『教育は何を評価してきたのか』(岩波新書)

 太字で示した部分は定義こそ違えど河野の述べる「批判的思考」に近いものがある。社会を変革していくためには、従来の固定観念を超えうる柔軟性を備えた思考が必要なのである。批判的思考の欠如は、多様な社会の構築の阻害にも繋がっていくのだ。これは、ただ単にテクストとテクストの外の世界を繋げないというだけの問題ではない。

 今年は現代文の授業も受け持つことになっている。今までもそうだったが、これからも「当たり前を疑うこと」「創り出すこと」に重点を置いて授業を展開し、生徒と共に私たちが生きる社会を問い直していきたい。

 

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