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南米ウルグアイ人と日本人に関する仮説ー地球の反対側でユニバーサルデザイン探究者は見た!①


南米ウルグアイでの経験を日本に

私は2018年1月から2020年1月までの2年間、シニア海外ボランティアとして活動をしていました。ウルグアイは、南米大陸のブラジルとアルゼンチンに挟まれた小さな国で、日本から見ると地球のほぼ反対側に位置しています。面積は日本の約半分ですが、人口は約340万人(当時)という少なさです。その首都モンテビデオに住んでいました。

南米大陸の地図

シニア海外ボランティアと言ってもピンとこないかもしれませんが、JICA(独立行政法人 国際協力機構)の青年海外協力隊と言えばご存じの方もいるのではないでしょうか? 青年海外協力隊(20~39歳対象)のいわばシニア版(40~69歳対象)がシニア海外ボランティアです。
※現在は、「シニア海外協力隊」という名称になり、年齢などの要件も変わりました。

なぜウルグアイなのか、とよく聞かれるのですが、正直なところ、ウルグアイにも南米にも特に思い入れはなく、行ったこともありませんでした。応募するまでは、典型的な日本人と同様、「ウルグアイってどこだっけ?」くらいのレベルだったといっても過言ではありません。ただ、ボランティアの募集要項に書いてあった「アクセシブル・ツーリズム」の推進という活動内容に惹かれ、その場所がたまたまウルグアイだったという理由で応募に至りました。
アクセシブル・ツーリズムとは、簡単に言うと観光のUD、つまり障害の有無や年齢などにかかわらず皆が楽しめる観光のことです。日本ではユニバーサル・ツーリズムと呼ばれることもあります。ウルグアイの観光省(日本でいえば観光庁のような役所)のアクセシブル・ツーリズムを担当するチームで、ウルグアイ人の職員と一緒に活動していました。

ウルグアイでの濃い経験を一言で表すことはできませんが、最も苦労したのはコミュニケーションです。ウルグアイの公用語であるスペイン語を私が勉強したのは、日本を出る前の数か月間だけ。そんな言葉もろくにできない日本人が、ウルグアイ人ばかりの中に一人飛び込んだわけですから、壁にぶつからないわけはありません。また、言葉だけでなく文化が日本と異なることによるコミュニケーションの壁にも直面。
でも、言語や文化が日本とは違うからこその新しい発見や興味深い出来事も数知れず。それは、ユニバーサルデザイン(※)やダイバーシティについて長年考えてきた私にとって、「探究」する価値のあるテーマでもありました。
今回はコミュニケーションの根っこにある文化の違いについて、私が体験したことを軸に「ウルグアイ人と日本人に関する仮説」というテーマで書いてみたいと思います。

ユニバーサルデザイン(略してUD)
すべての人にとって、できる限り利用可能であるように、製品、建物、環境をデザインすること

UDの提唱者 ロナルド・メイスらの定義より
飛行機の中から撮った首都モンテビデオ。ウルグアイの人口の約4割が住む。

「予定は未定」のウルグアイ

文化の違いで最も戸惑ったのは、時間の感覚の違いです。現地に行く前から、南米の人はのんびりしているというイメージがありましたが、住んでみて実感しました。

皮切りは、ウルグアイで暮らし始めた頃の話。電気工事の人が来る時間を尋ねると「朝8時~夕方4時の間」と言われあぜん。日本ではあり得ない時間設定です。休みを取って自宅待機しましたが、時間を過ぎても来ないし連絡もない。さっそくすっぽかしの刑とは!
同様に、会議も出張もイベントも、予定通り行われないのは日常茶飯事。数十分遅れは当たり前で、数時間待たされたことも。それでも開催されればましなほうで、突然の中止・延期もしょっちゅう。おかげで、「遅れ」「キャンセル」「延期」というスペイン語だけはすぐに覚えました。
毎日がそんな風なので、仕事の進み方は、日本人の十倍くらい遅いようにも感じました。2年間の任期で何をするか、何ができるのか……と最初は悩みました。

そうはいっても、ここは異国。郷に入れば郷に従え、とも言います。どちらかといえばもともとのんびりした性格だったこともあり、次第に彼らの時間感覚に慣れました。

と思っていたのですが…
半年ほどたったある日、ウルグアイ人の同僚が冗談まじりで、「〇〇(私のこと)は、いつも『いつ?』と言っている」と話しているのを聞いたんです。確かに心の中では、その仕事は「いつ始めるの?」「いつ終わるの?」「いつやるの?(今でしょ!)」などとつぶやいていたのですが、そんなに「いつ?」という言葉を口に出していたとは!まだまだウルグアイ人に慣れきっていないのだなと、ちょっとショック。
同時に、自分に染み付いた「日本人」的な時間感覚は、そう簡単に変わるものではないのだとも感じました。

バーベキューをのんびり楽しむのもウルグアイ流の時間の過ごし方

ところ変われば合理性だって変化する

では、日本人とウルグアイ人の時間感覚は何が違うのか? なぜウルグアイでは日本のように物事が「効率的」に進まないのか? を自分なりに分析してみました。私の仮説は次の通りです。


生活感丸出しのたとえ話で恐縮ですが、いま一番やるべき仕事が買い物、二番目が掃除、三番目が洗濯だとしましょう。日本にいる私ならまず洗濯機を回し、その間に掃除をします。掃除が終わったら、洗濯物を外に干します。そして買い物に出かけます。買い物を済ませて帰ったら、洗濯物を取り込み、1日で3つの仕事が完了! 日本人なら、多かれ少なかれこのような段取りをするのではないでしょうか。
一方、ウルグアイ人は、まず優先順位が最も高い、買い物から始めます。満足ゆくまで買い物をして帰宅した後、時間があれば掃除をします。そうすると、洗濯をして干したとしても、乾かない時間になります。そこで洗濯は次の日にやることにするのですが、次の日になると別の優先順位の高い仕事が入ってくるので洗濯はまた後回しになり、洗濯物がどんどんたまっていく……という具合。
(もちろん、これは極端な仮説ですし、仮説が正しいとしても全てのウルグアイ人にこういう傾向があるわけではありませんが)


だからウルグアイ人は非効率的でだめだというのではなくて、彼らには彼らの合理性があるのではないかと考えたのです。具体的には、優先順位の高い仕事から先に片付くということ。予定を柔軟に変えられるということ。そして、残業しないということ。
日本人なら最初に決めた予定通りやろうとしがちですが、ウルグアイ人は他にもっと大切な仕事が入ったらそちらを優先させます。それに、日本人のように時間を超過してでも片付ける(この場合、夜遅くなろうが買い物を済ませる)こともありません。どの仕事よりもプライベートの時間の優先順位のほうが高いからです。また、周りの人もそう思っているので、仕事が少しくらい先送りになっても(洗濯物がたまっても)、文句は言いません。

この仮説にもとづくと、「効率的」に段取りをするのが良い、という日本人の「常識」が、いつでもどこでも正しいとは思えなくなってきました。

日本人は効率を求めてどこへ行く?

同じように感じた出来事は他にもたくさんあります。
たとえば、窓口の前に長い行列ができているとき。「もっと効率的にやれば早く進むのに」と最初はいらっとしました。
でも、言葉がわからず窓口でのやり取りに時間がかかる私にとっては、ありがたい面もありました。窓口の人も他のお客さんも、嫌な顔をしないからです。それどころか、後ろに並んでいた人が、私のために窓口の人のスペイン語を英語で通訳するなど、助け船を出してくれたこともありました。
効率的だけど何となくギスギスしている日本と、時間はかかるが他人に親切にする余裕があるウルグアイ、どちらが暮らしやすいんでしょう?

日本に帰って何年もたちましたが、ちょっと待たされただけでいらだったり、人を押しのけるように急いで歩いたりしている日本人を見ると、いまだにウルグアイ人との違いを感じます。最近は「コスパ(コストパフォーマンス」ならぬ「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉も流行っています。日本人はこれ以上「タイパ」を求めて幸せになれるんでしょうか?「タイパ」は「心のバリアフリー」をもたらすんでしょうか? ときどきウルグアイを思い出しながら考えています。

※この記事は、「ダイバーシティなカルチャーマガジン mazecoze研究所」の許可を得て、同サイトに掲載された記事を再編したものです。

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